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コロナが終息した後の世界とは

コロナウィルスの終息がいまだ見えないなか、不安を抱える人も多いのではないだろうか。数週間の見込みで発表された休校や休業も今となっては数か月単位での検討がなされており、数か月では終息はつかなさそうだ。ウィルスもさることながら一番の懸念は今後の経済活動にある。特に米国では一時的な解雇も含め、今後3人に一人が仕事を失うともいわれている。日本が米国程影響を受けていないにせよ、これだけ各国が経済的な影響を受けているなか、日本も例外となりえないだろう。

世界経済が悪化をたどるだろうが三点利点も考えられる。一点は環境への配慮、二点目は働き方改革、三点目は既存の経済基盤の見直しである。

一点目は誰の目にも明らかだと思う。経済活動が制限されること運輸や航空でのヒト、モノ、カネが制限されることによって自然環境が本来の形を取り戻し始めている。ロックダウンとなったニューヨークでは21%も電力需要が減ったという。常に車や三輪車の騒音が鳴り響くインドでさえ、大気汚染が軽減され、小鳥のさえずりが街に戻ったという。

二点目、働き方改革は日本において大変顕著だ。今まで軽視されてきたリモートワークや子育て世代の働き方に関しても今回のコロナショックを経て緊急的に実施されることとなった。これを期に時短やリモートワークが増え、不要な会議も削減されるだろう。

三点目だが、これは最も大事な点ともいえる。今まで必需とされてきた事業やビジネス自体がその本質を問われつつある。連日のように顔を突き合わせて行っていたミーティング、勉強会やセミナー、新人研修など。今となっては疑問に思う方も多いかもしれない。あれらは本当に必要だったのか。仕事上のルーティンはさることとながらプライベートにおいても同じことが言えよう。毎日のように通っていたレストラン、通っていたジムや習いごとなど。外出自粛を迫られた今、元来必要と思いこんでいたものが見なおされようとしている。究極を言ってしまえば人間活動を最小限に収めようとする時最小限必要となるものだけが残るわけである。

経済的な観点からは、メイヤーの提唱する4つの未来が存在する。強固な国家資本主義、急速的国家社会主義への発展、破壊主義への転落、或いは相互扶助に基づいて構築された共済社会への転換だ。4つどれをとるにしても決して満足のいく未来ではないが可能性としては多いにあり得る未来図だ。


些細な変化では対処できない

コロナウィルスは環境問題のように「自然の法則に基づいた」問題だが、私たちの「社会」カタチによって左右される問題である。都市を封鎖するということは経済活動を停止させるということでありだからこそ世界のリーダーたちが出し渋った解答でもある。社会全体の経済活動が衰退すれば国民の生活は多かれ少なかれ困窮することとなる。

人々が社会的活動を再開し、経済をよみがえらせるためには需要が必要であり、需要のためには生産が必要だ。しかしコロナウィルスを含む今後数多く訪れるであろう人類への危機(例えば地球温暖化など)にカンフル剤は存在せず、私たちは生活の一部としてそれに順応していくしかない。そうなると感染を削減するため人々の職を確保しながら生産自体を削減しなけらばならないし、人々の給与への依存を軽減させなければならない。そのためには一体どのようなモデルが必要なのか。

経済は何のために存在するか
既存の経済システムは「交換価値」を高めるためにあり、全ての職は「トランズアクション」のために存在する。簡略的に言えば、全ての仕事が「仲介業」なのである。コロナウィルスは良い言いでも悪い意味でも市場の価値を改めて問う存在だ。

無限に存在する存在価値のない仕事
イギリス・サレー大学のエコノミストであるメイヤーは私たちの社会がコロナウィルスに打ち勝てない理由の一つとして「無限に存在するなくても良い仕事」の存在を挙げている。「交換価値は経済の基本原則」で
「生活必需品」は主に市場でしか入手できない。モノを購入する必要があり、モノを購入するには収入が必要で、それを支えるのが収入ということだ。しかしこれは裏返してみればマーケットの支配関係と交換価値があるが故であり、コロナウィルスはこれらを「課題」として考える好適機会ともいえる。

コロナウィルスは色々な意味で今まで不可能とされてきたことを可能にした。スペインでは、民間病院が国有化され英国では、様々な交通手段を国有化する見通しが現実化し、フランスでは大企業を国有化する見込みがある。

同様に、労働市場の崩壊も見られる。デンマークや英国では、労働者の移動を制限するために収入を提供しておりこれは確実なロックダウンには不可欠だ。これは収入を得るためには働かなければならないという原則からの転換であり、働けなくても生きていけるという働きかけである。

このような動きは「ベーシックインカム」に値する考えである。しかし気を付けなくてはならないのがこういった流れが国家統制主義になってしまうことだ。

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■四つの未来のシナリオ 
メイヤーが提唱するシナリオとしては上記の四つが存在する。この4つのシナリオは価値(経済の基本原則となる価値)と集中(マクロかミクロか)の二極によって分けられている。

価値には二つあり、一方は交換と紙幣を最大化するかがネックとなり、もう一方はいかに「人生」や「幸福」を最大化させるかが焦点となる。集中はどのように物事を整理するかであり、あえて言えば「マクロ」か「ミクロ」でどのように力を分散させるかである。

1) 国家資本主義: 中央集権的思考(マクロ)、交換価値を経済の基本原則とする
2) 破壊主義: 地方分権的思考(ミクロ)、交換価値を経済の基本原則とする
3) 国家社会主義: 中央集権的思考(マクロ)、人命を経済の基本原則とする
4) 共済社会: 地方分権的思考(ミクロ)、人命を経済の基本原則とする

■国家資本主義
現在先進国の数多くに見られるのがこれで、例としてはイギリス、スペイン、デンマークなどが例に挙げられる。国家資本主義は交換価値を経済の基本原則とするため、仕事ができない労働者には優先して金銭をささげ、ローンにも考慮する。しかし、これは非常に短いスパンでの担保に過ぎない。なぜなら国家が半永久的に労働者に賃金を支払うわけにはいかないからだ。労働者の対価は仕事そのものが優れているか(仕事の有用性が高い)ではなく、市場においての「交換価値」が高いか否かで決まる。これはコロナウィルスが短い期間で終息すれば効果的なシナリオではあるがこのモデルを続ける限り、人々の労働市場での接触は避けられず小規模であろうとも感染は続く。英国で言えば不急不要の屋外労働が現在でも行われている。しかし死者が増えればこの状況も変えざるを得ない。

■破壊主義
このシナリオは最悪のシナリオともいえる。この状況は交換価値を経済の基本原則と考えながらウィルスに感染した、あるいはするであろう脆弱な個人を無視して経済活動を優先する指針だ。いうなれば統制がされず、皆が自身のことしか考えない完全自治の状態である。完全筆者の個人的な考えだが、現在日本はまさにこの状況といえる。これは最悪の状況を招きかねない。救済措置が何も取られないため、会社が倒産に追い込まれ、労働者は貧困に喘ぐ。病院や民間の医療基盤が特別措置で守られることもなく メルトダウンに追い込まれる。これは政府の貧弱な方針経済/保健政策の空洞化によって招かれる最悪の結果だ。

一般家庭や企業に救済の手は広げられたとしても低取得階層には手が回らないのは明らかだ。感染が蔓延すればカオスとなり、多くの人が生命の維持に必要な通院や投薬を断られることとなる。

感染がピークに達し、政府が「通常の」状態に戻ろうとした後、大規模な緊縮財政の可能性がある。このシナリオは発展途上国のみならず先進諸国にも起こりうる。まさにドイツはその危機に立たされている。緊縮財政間のライフラインを保つサービス全般の資金調達が、このパンデミックに対応する国力自体に影響を与えるからだ。

■国家社会主義
地方分権的思考(ミクロ)、人命を経済の基本原則とする国家社会主義は文化や人々の価値観を見直すことで可能となる。国家資本主義と重要な違いは病院の国有化や労働者への支払いのような措置は、市場を保護するためのツールとしてではなく、生命そのものを保護するための方法として見られるということだ。このシナリオでは、国家は生活に不可欠な経済の一部(例えば食糧、エネルギー、避難所など)を保護するためのみに介入し、市場の変動によって奪われることがなくなる。州は病院を国有化し、住宅を自由に利用できるようする。また、すべての国民に基本的な物資と、少ない労働力で生産できる消費物資両方へのアクセス手段を提供する。

このモデルにおいて労働者(国民)はもはや、生活の基本的資源の仲介役として雇用主に依存することはなく、賃金は全国民に直接支払われ、交換価値は失われなくなる。対価として生じるのはすべての国民が同じだけの賃金を提供され(反資本主義)あるいは仕事の有用性に基づいて決定される。高賃金を得るのは大企業のCEOや役員ではなく、より国民の生活に密接し、人々の生活を支えるスーパーマーケットの労働者、運輸・運送業者、看護師、教師、医師などとなる訳だ。

国家の社会主義は、国家資本主義への試みと長期にわたるパンデミックの結果として現れる可能性がある。深刻な景気後退が発生し、サプライチェーンに混乱が生じ、現在見られているような標準的なケインズ経済学(お金の印刷、ローンの取得の容易化など)によって需要を確保できない場合、国が生産を担う可能性がある。

このシナリオでは権威主義に陥りやすく、国家社会主義を装って実は独裁社会を建国しようとする政治的意図にも注意が必要となる。しかし、うまくいけばこれはコロナウィルスに対する長期的措置になるかもしれない。

■共済社会
共済社会は人命を経済の基本原則としたときに考えられるもう一つのシナリオである。このケースでは国家は統制の主権を持たず、市民社会が率先して人命を経済基本原則とするため、個々や小規模グループが率先してお互いを守りあうモデルだ。

一見素晴らしく見えるこのシナリオだがこのシナリオにも欠点がある。個人や小規模グループは特定のグループに焦点を当て手の届かないところへ援助ができても小規模でしか活動することができない。さらに人々の移動が制限された昨今、万人に支援の手を伸ばすことは非常に難しいだろう。しかし共済社会が各地で成り立てば公共衛生(パブリックヘルス)と経済活動の両方において「防衛措置」とはなるだろう。例えば各地で早くも動きがあるように家賃や電力の支払に対して協同組合を設立することで個々の負担を減らすということも考えられる。これは最も理想的な未来であり、新しい民主主義の構造を生み出すだろう。かなりのリソースを比較的迅速に動かすことの出来るコミュニティが生まれるのである。事実、この流れは各地でも見受けれている。イタリアではボランティアが物資が届かない家庭に買い物の援助をし、企業がマスクやその他の医療機器を無償で提供するような例もある。アフリカで発症したエボラ熱もその打開に大きく貢献したのはコミュニティの力であると言われている。

■希望と恐怖
この4つのシナリオを掲げたメイヤー自身 国家資本主義から破壊主義に代わることを恐れ、国家社会主義から共済社会になることをベストなシナリオと考えている。どのシナリオに陥ろうとも利点と欠点がある。実際には4つのシナリオの混在した社会が世界の至ところでみられるだろう。ただし、どのシナリオ(或いは全く別のシナリオ)を向かい入れることになろうとも重要なのは今回の危機を一過性と考えるべきではないことだ。環境面でも人類は危機に立っている。常時でできていないことが緊急時に出来るはずがなく、困難な危機を乗り越える準備ができていないと人類は破滅の一途をたどるのである。

この文章は以下のサイトを参考に執筆されました。筆者の個人的な考えも含まれ、本稿の翻訳(及び解釈)は著者の意図とは異なる場合があります。




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