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オキナワドライバー

長女が産まれる前に、夫と二人で沖縄に行った。
子どもが産まれる前に夫婦の時間を満喫したかったというありふれた理由だった。
私は沖縄が好きだ。

観光ブックを買って、行く場所の目星をつけた。
夫は初めての沖縄だったのでいわゆる観光名所に、私は以前沖縄に住んでいる友達に連れて行ってもらった食堂にどうしても行きたかった。
それぞれの希望をすり合わせて、一日目はタクシーで、二日目はレンタカーで移動するのがよさそうだ、という話で落ち着いた。

さて、一日目、首里城に行くために首里駅に降り立った。
そこからタクシーに乗って首里城に行くことにしたのだ。
お腹が減ったので、駅のすぐそばにある食堂で、ソーキそばとジューシーの定食を食べて、店を出るとちょうどタクシーがいた。
「首里城に行きたいんです」と伝えると、「まぁ、乗んなさいよ」と運転手。
「首里城は後にしなさい。いいところがあるから、まずはそこに行きましょう。海で魚が見られるから」
私も夫も人がいいのだ。
こういう時に「はぁ」と曖昧に頷いてへらへらするしかできない。
NOと言えない日本人を地で生きている。

彼は太田(確か)と名乗った。
明るく朗らかな話し方で、テンションも高く、なんだかつい心を許してもいいような気がしてしまったのだ。
同じく観光地の京都に住んでいたけれど、こんな朗々としたタクシーの運転手さんに出会ったことは一度もなかった。
太田が言うままに海へと運ばれる私たち。
車内は太田のトークで盛り上がり、私も夫も変わらずへらへらしていた。

海への途中、あの有名なニライカナイ橋があった。
太田は車を端に止め、降りなさい、と言った。
橋の上から海を見るように促され、かなりの突風の中、私たちは沖縄の海を一望した。
きれいだった。
太田は私にデジカメを寄こすように言い、髪が激しく乱れる私と笑う夫の写真を撮った。
太田はとても満足気だった。

しばらく行くと、丘のふもとのような緑の多い道に出た。
丘に沿って道は湾曲していく。
ふと左手に小さな白い祠が表れた。
「これは沖縄のお墓だよ」
太田は言って、祠の前で車を停めた。
太田は車を降りたと思ったらトランクからおもむろに三線を取り出して、窓を少し開けた車内で三線を弾き、そして歌い始めた。
カウンターは順調に回っていた。
事態が呑み込めないまま太田の歌を聞き、歌い終わった太田に、もちろんちゃんと拍手をした。
私も夫も人がいいのだ。
歌い終わった太田はとても満ち足りた顔をしていて、そして、A4サイズのコピー用紙に筆ペンで何事かを書き始めた。
一体何を書いて下すったのかまったく記憶にないのだけれど、きっとおそらく夫婦いつまでも仲良く、的なことだったろうと思う。
だって、しばらくは捨てずにとっておいたのだ。
何かしらのよき言葉が連ねてあったに違いない。

再び走り出した車内で、太田は自分が三線の立派な弾き手であることを話した。ダッシュボードからスナップ写真を取り出し見せてくれたのだけど、そこには時の総理の前で三線を弾く太田の姿が映っていた。
私と夫は素直にそれに感心し、すごいですね、と太田を褒めた。

やがて、ようやく目当ての海についた。
太田は手慣れた様子で我々の受付を済ませ、船に乗るように促した。
そして、海を背景にまた、私たちの写真を撮った。
写真の中の私たちはすっかり太田にも慣れ、驚くほどいい笑顔をしていた。

船は揺れた。
船の床の一部がガラス張りになっておりそこから沖縄の色鮮やかな魚がよく見える、というプランだったけれど、下を向けば船酔いが加速するので、少し魚を見た後は酔いから気を逸らすことだけに集中していた。
いくら美しい魚でもずっと見ていれば飽きるし、下を向けば気持ち悪い、そういうものだ。

船から降りると、太田は当然のように待っていた。
カウンターの具合が気になったけれど、ここまで来たら見ないふりを貫くしかないような気がして、開き直る覚悟ができていた。
「次は斎場御嶽(セイファーウタキ)だよ」と言われて断る選択肢はもはやなかった。
ここが沖縄のどこなのかも分からないし、目当ての首里城に行くにしたって結局タクシーに乗らないといけないのだ。
だったら、もう太田にどこまでも料理されたっていいかなと思った。
どうせ、もう下茹でくらいはされている。あとはおいしく味付けされるのを待つだけだ。

斎場御嶽でも受付は太田が済ませ、私たちはお金を払い、そして、どういうわけか太田もついてきた。

斎場御嶽は素晴らしかった。
とても神聖で、パワースポットと平たい言葉で片付けられるには恐れ多いほどの厳かで力強い空間だった。
太田は何かしらの斎場御嶽に関する知識を与えてくれたはずだったけれど、生憎あまりよい頭ではないので話は少し難しく、そして旅の疲れも手伝ってほとんど覚えていない。
気になる人はGoogle先生に訊いてみてください。

斎場御嶽の後はようやく首里城だった。
ところが、太田は道すがらの産直市場に寄りましょう、と提案し、これが最高よ、と厚揚げの入ったパックを差し出した。買わないわけにはいかない。
幸いなことに私も夫も食べ物の好き嫌いがない。
興味をひかれた油味噌と一緒に厚揚げを購入した。
太田もそれを購入しており、車に乗るとそれを食べ始めた。
小腹が空いていたらしい。
私たちも食べるよう促され、車内でそれを頂いた。
厚揚げは厚揚げらしい美味しさだった。
つまりはいたって普通だった。

ようやく念願の首里城に到着し、学校で習うことのない琉球王国の歴史に触れ、私も夫もなんだか壮大な気持ちに包まれた。
夫は大河ドラマ好きであり、歴史にロマンを見つけやすい。
首里城でもそんな荘厳な背景に触れ、なんだか少し気が大きくなっていた。
琉球王国に興味が出たと言っていたけれど、その後の彼の人生を見ている限り琉球王国について掘り下げている様子は今のところ見たことがない。

首里城を出ると、もちろん太田は待っていた。
もうここまでくると、ただいま、と言えてしまう。
車に乗り、駅までお願いする。いよいよ太田ともお別れだ。
駅までの車内で、あれはタレントの誰それの実家だよ、と自慢げに太田は話していた。

駅に着き、別れを告げる。
楽しい一日だったな、と思った。
思いのほかにたくさんの場所を巡ることができたし、太田がアテンドしてくれた一日はなんだか心強くもあった。
私も夫も太田にお礼を言った。
太田もにこやかだった。

さて、忘れてはいけない。
太田が運転していたのはタクシーであり、メーターは順調に回り続けていたということを。
確かその金額は一万一千円ほどだったと記憶している。
この予定外の出費が高いのか安いのかそんなことを議論するほど私も夫も無粋ではない。
太田のアテンドとエスコートは予定外だったけれど楽しくもあった。
そんなハプニングも嫌いじゃない。
私も夫も人がいいのだ。

太田はきっと今日も沖縄のどこかで人がいい誰かを乗せて勝手気ままなプランを提案して走っているのだろう。
もし、沖縄のお墓の前で三線を弾いているタクシードライバーをみつけたら、それはきっと太田で間違いない。

でも、なんでお墓の前だったんだろうか。
せっかく沖縄まで来て三線を聴くならもう少し雰囲気を考えてくれたらありがたみも出るというものだけど。
誰とも知れないお墓の前じゃあ、どちらかと言うとカウンターに気を取られてしまうよね。
人がよくても。


また読みにきてくれたらそれでもう。