私奴隷じゃん。。【波乱万丈なワーホリ オーストラリア編③】
シドニーで洗車の仕事をしながら貯まったお金で←多分2,3ヵ月しか働いてない。。
シドニーからケアンズ行の航空券を買っていざケアンズへ!
もちろん、あてもなくただケアンズ行ってみるか。で決めたケアンズだから泊まるところも、仕事探しも現地行ってからやろうっていう無計画さ。
とりあえずお金もないしバックパッカーしか最初から選択肢もなく、人生で初めてバックパッカーという未知の場所に住むことになる。
ケアンズは大都会のシドニーとは打って変わって、のどかな海がひろがる田舎町って感じ。ダウンタウンなら徒歩でどこでも行ける距離。
私はシドニーみたいにバスとか電車で毎回大移動する都会じゃなくてこの徒歩でどこでも行けるこの街がすごく気に入った。
バックパッカーは、一部屋ごとにベッドが6つくらいあって私は女子部屋に6人くらいとシェア。部屋にはシャワーが一つ付いてるんだけどもちろん自分の好きな時に浴びようと思ったら誰かが使ってるから、誰も使ってないときを見計らって使うスタイル。
キッチンはバックパッカーに1つしかなくて男女も他の部屋のみんなで共用。
みんな友達といつも和気あいあいと料理してたり、みんなで作った料理で毎日のように庭でパーティーとかしてるの見て楽しそうだなーと思いながら私はすみっこのテーブルで一人ご飯を食べる毎日。
話しかける勇気のかけらもなく。笑
そして私はもちろんすぐにでも仕事を見つけないとお金が底を尽きる!
ってことでまた履歴書を図書館で大量にプリントして、ケアンズ中のレストランに配り歩く日々。
シドニーの時は、履歴書に高校にときにちょろっとしたバイトだけが職歴にしか書けなかったけど、シドニーで働いた2,3ヵ月の洗車のバイトが一つ追加できるようになったくらいの誰がどう見ても何の取柄もない
ショボすぎる私の履歴書。泣
この私の史上最強のショボい履歴書をケアンズ中のレストランにばらまく日々。笑
日本食レストラン(通称ジャパレス)←ワーホリ用語。笑
面接に呼ばれるも採用はしてもらえない日々。笑 なぜ??
今思えば面接のときから自信のカケラもなかったからこの子には無理だろうってみんなから思われてたのか。。
シドニーの時と一緒で、ジャパレスでさえも働けない私なんて一体どこの誰が私を雇ってくれるっていうの?。。ちーん。
シドニーでの仕事探し編はこちらの記事
そうしてシドニーの時と同様毎日歩きまくってしかもビーサンで。
遂に足が腱鞘炎になった。腱鞘炎っていうの?とりあえず足が痛くなったからもう歩けない状態。泣
また心が折れる。
でもなぜかオーストラリアに来て何回も折れた心だけど、帰国しようっていう選択肢はそもそも一回も浮かびもしなかった。笑
自分で決めたことだし、いつか見つかるだろうっていう若さゆえの考えだったのか。
まあそんなこんなしてたら1カ月経ったくらいでいきなり電話がかかってきて、(携帯も英語出来ないので日本の携帯扱ってるケアンズにある会社で無事契約済み)携帯でおじさんが何か言ってるけど、何言ってるんだろ?
ん?なんか明日8時に来いって言ってない?
え、これって仕事採用されたって意味?
どこのレストラン?
とりあえずYesってだけ言って。
遂に仕事がゲットできた嬉しさで一人で大喜び
きっと昨日立ち寄って渡してきたあそこのレストランのおじさんだ!
とりあえず明日そこのレストラン行かなくっちゃ。
翌日の朝。
レストランに行ってみるも誰もいない。
8時って聞こえたけど違ったのかな。。
大分焦り始める。
そこで電話がなって、
「君はなんで来てないんだ!」的なことを言ってたから
「アイムヒア!」私はもういるけど!的な小学生レベルの英語で頑張って伝えて、
「いや、いないじゃないか」
「え?アイムカミング」私今行きます!的なことを伝えるも必死にどこのレストランに昨日履歴書を配り歩いたか思い出しとりあえず走る走る。
え、ここのレストランじゃないならあのカフェかも。いやあのカフェじゃなかったらどこだろ。。
って無我夢中で走って着いたカフェでおじさんにジェスチャーしたら、このおじさんからの電話だったと気づいてやっと無事到着。
おじさんは、さっさとバックおいてこっち来い的な感じで言ってるなーうわー怒ってるー
から始まった私のカフェでの仕事。
もちろん、おじさんが仕事の説明をしてくれてるのに私はちんぷんかんぷん。ちーん
何言ってるんだろこのおじさん。
多分この皿はこれで洗えよ的なことかな。。とか自分なりの解釈で頑張った。
そしてそこで働いてるギリシャ人のお姉さんが私にいろいろ教えてくれたんだけど、彼女が言ってる英語も全然理解できず。
コミュニケーションろくにとれない状態で毎日仕事に行った。
もう無我夢中だった。
必死に理解しようと頑張って、何て言ってるかわからないくせに間違えたらどうしよう、これで合ってるのかな。。って怯えながら働いてた。笑
店長らしきおじさんはまあそれはそれは意地悪な人。
なんて言ってるかわからないけど、親切じゃない人、常にキレてる事、私が全然理解してないことにいつもブチギレてることくらいは察した。笑
でもどうしようもない私。キレられてもSorryしか言えない私。
でも毎日が必死だった。笑
その時は自分がやってることを必死にこなす毎日だったからなんとも思わなかったけど、今冷静になって思い返せば彼の言いなりに全部言われるがままやってくれるただの奴隷としてしか使われてなかった。
私も他のカフェで働いてる人たちの待遇とか、どんな感じかとか知りえもしなかったから、比べようがないし彼の言うがまま従って働いた。
ただ、こんなに頑張って働いても朝から昼過ぎまでの仕事だったからお金の余裕がなかった。だから、掛け持ちでの仕事を探し始めた。
ケアンズでも日本人向けのサイトをよく使ってて、そこにあった日本人経営の指圧のお店に履歴書送ってたんだけどそこで採用されたからカフェ終わったあとはそこのお店によく入り浸っていた。
そこの指圧のマッサージのお店は、日本人の仙人みたいなおじさんとオーストラリア人の旦那さんがいるというおばちゃん二人でやってるお店でそれはもう娘のようによくしてくれた。
そこは完全歩合制でマッサージでお客さんを施術したら50ドルだったけな?貰えるんだけど、あんまりお客さんも来ないし毎日私も行ってるわけじゃなかったから稼ぎにいくというより近所のおじさん、おばさん家に遊びに行く感じで行ってた。笑
そんなこんなしてケアンズ生活も大分慣れてきた頃楽しくなる事が起き始めた!
まだまだケアンズでの波乱万丈生活の記事続きます。笑
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