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履歴書にかける仕事がない。。【絶体絶命なワーホリ オーストラリア編②】

まずは何と言っても住むところ!

英語が全然出来ない私にとって、
「英語出来ないけどどうやって住むところ探せばいいの?」

19歳の私は日本でさえ一人で住んだことないのに。

オーストラリアは日本人がたくさん住んでるのか、日本語のサイトがいっぱい出てくる。

JAMS.TV
日豪プレス

とか、「オーストラリア クラシファイド」って検索したら日本人向けのサイトが結構出てくる。
私はオーストラリア生活ではしょっちゅうこの日本人向けのサイトにお世話になった。
求人も住まいも、友達探しも。
オーストラリアに住んでる日本人なら誰でも知ってると思う。

私はまずオーストラリアのワーホリのビザを取ってから、まず住む場所はシドニーって決めた。
シドニーしかオーストラリアで知らないのと、サイトを見る感じ職も住む場所も圧倒的にシドニーが多そうだったってだけの理由。笑

その中でもお家も綺麗で、投稿してる日本人も感じが良さそうってだけの理由で私が日本からコンタクトを取って決めたお家がホストファミリーみたいな感じの家。

日本人女性と旦那さんのオーストラリア人に小学生の息子がいる家族でいたって安全そうだからここにした。

日本人女性ともオーストラリアに行くまでやりとりしながら、シドニーに着いた日は最寄り駅まで迎えに来てくれた。

見知らぬ土地で、知り合いもいない中日本人ってだけでどれだけ心強かったことか。

私はシドニーに着いた次の日から仕事探しに取り掛かったんだけど、まずは日本人向けのサイトの求人のところから手当たり次第にレストランに応募してみた。

そこから連絡が来たレストランに面接に行き続けるも採用してはもらえない。

レストランからしても、オーストラリアに来る日本人なんてたっくさんいてその中でも英語ができる人だったり、日本で飲食の経験があるならまだしも、私みたいに高校卒業したばっかりのバイト経験もほぼないやつなんて雇いたくないわなーと思いながらそんな日々を毎日過ごしてると心が折れた。。

でもそんなこんなはしてられない状況!

今度は現地のレストランに求職すべく、どっかのネットで見つけた現地の人は履歴書を配り歩くってのを見つけて、図書館に行って大量に英語で頑張って書いた履歴書をシドニー中のレストランを歩き回って履歴書を配り続ける日々。

その履歴書でさえ、職歴なんて高校生にちょろっとしたバイトしか書いてない状態。笑

今思えば無謀にも程がある!!笑

でもこの時は家に帰って日本人女性と息子の小学生の子とちらっと会話するだけでほぼ毎日一人。毎日一人でシドニー歩き回りながら土地勘もないくせにただ求職活動をする日々。


1カ月くらい過ぎたところでよやく見つかったのが日本人用のサイトの求人で見つけた洗車の仕事。

面接に行ったら採用してもらえて毎朝遠くの洗車場まで朝早く通う生活が始まった。

仕事場は女子などおらず、私以外全員男子!

日本人が2,3人と外国人の男性2,3人プラス私。

仕事ゲットしたのが嬉しかったし、無我夢中で毎日仕事行って働いた。
車とか全く興味なかった私が他の人にこれはポルシェだよ、とかベンツだよとか高級車ばっかり洗うような高級住宅街にある洗車場なのに高級車なんて一切興味なかった。笑
他の人たちはその高級車を間近で見れたり乗ったりできるのもこの仕事の醍醐味とか言ってたな。

そして給料は10ドル!

当時のオーストラリアの最低時給は18ドルだからアンダーテーブルって言われるいわゆる違法で働いてたのかな、笑
当時のオーストラリアはどこも違法なのか給料が現金で支払われる事なんて当たり前で、時給もレストランで働いても10ドルは割と普通だった。

そんなこんなで、友達もいない為毎日平日は仕事と家の往復で土日は一人でぶらっとシドニーを観光。

一日中で洗車で体力を使う仕事だったから仕事終わりはヘトヘト。。
たまーに料理をしたりもしたけど、帰りにスーパー寄って安い1,2ドルくらいのチョコレートマフィンとかブルーベリーマフィンが私の夜ご飯だったり昼ごはんだったりを繰り返してたら3ヵ月足らずで体重約10キロ増えてた!爆笑


そりゃそんな高カロリーな物毎日食べてたら太るわな。笑

日本みたいにおにぎりが売ってるわけないし、、🍙🍙🍙


数カ月経って、なんか毎日同じことで飽きてきたなー。そろそろ違うところにでも行ってみようと思い立って、オーストラリアの北側にあるケアンズに行くことに決めた。

ケアンズはシドニーより暖かそうだなーっていうイメージでただ選んで航空券だけ買って何のプランもなしにレッツゴー

行ってからどこに行くか、何をするかも決めずに行ったから、ケアンズ着いたらすぐバックパッカーを探してバックパッカー暮らしをすることになった。

そしてケアンズに着いてからの私はまたシドニーの時と同じく、毎日ケアンズ中のレストランに履歴書を配り歩く日々であった。。笑

私のケアンズでの生活はシドニーの時よりも波乱万丈な6ヵ月になってしまった。

続いては、
・初のバックパッカー生活
・ケアンズの心折れる仕事探しの毎日
・人生で初めてのクビ
・初外国人の彼氏ゲット?

そう簡単には進んでくれない私のオーストラリアのワーホリをシェアしていこうと思います


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