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中学受験レースから、エイヤッと飛び降りてみたら、心の平安が待っていた。

東京都心部から、東京郊外へ引っ越し、4月の新学期から、それぞれ子どもたちは地元の小学校や幼稚園に通っている。

今回の引っ越しの裏テーマは、脱「競争社会」。

たまたま住み始めた場所で子どもが生まれ、幼稚園に通い、小学校に通い、あれよあれよという間に、東京都心の受験戦争マスト社会に飲み込まれていき……、確たるポリシーも子育て論もないままに、フラフラと気づけば親になっていた身としては、いったい何が正解なのか、何が自分らしい子育てなのかもわからないうちに、「たしかに勉強はしておいた方が、くいっぱぐれ率が低いだろう」というぼんやりとした思いで、塾に通わせ始めた。

そして例のごとく、気づけばかなりの課金ゲーム。

そして気づけば、子どもは青色吐息……。

そりゃそうよね、子ども時代はひたすらのっぱらで駆け巡り、木登りばかりして遊んでいた私の子が、しかも早生まれで精神年齢もお世辞にも高いと言えない我が子が、小学受験や中学受験に向いているわけがない。

……と、いまだから心底思えるが、それに気づくまでは数年要した。

……というより、引っ越してあの土地の呪縛から解き放たれたから、ようやく思えるのかも。

念のため、補足しておくと、これまでの土地は大好きだし、小学受験も、中学受験も、頭っから反対する気もない。これまで小学校受験、中学校受験の取材も重ねてきたことで、むしろ「受験」「私立」「国立」にはポジティブイメージも抱いていた。コロナ禍下の公立小学校の硬直化した対応に、心底憤ったこともある。
塾の体験授業を自分も受けてみて、公立小学校にはない、自由度の高いカリキュラムや、熱意満々の先生たちに感動すら覚えた。
将来、より良い教育環境を求めて、より楽しい勉強を求めて、塾で学び、受験にチャレンジするのも大いに結構だと思う。

ただし、その「勉強」が、ちょっと頑張ったらクリアできるくらいの少しくらい高めのは負荷ならば……だ。

「ちょっとの負荷」とは、その子や親が、ちょっと背伸びをして、ちょっと休み時間も削って勉強して、ちょっと週末の数時間も削って、ちょっと夏休み冬休みの数日も削って勉強に傾けるくらいならば……。そして、「勉強大変だけど、成績上がると楽しい」「先生の授業面白い」「問題解くのも、面倒だけど、できるとワクワクする」肯定的感情も、きちんと本人が持てているならば。

逆に言えば、「睡眠不足で学校の授業中仮眠しないとやっていけない」「夜11時まで勉強しないと塾の宿題が終わらない」「毎週末は友達と遊ぶ暇なく勉強をしなくては終わらない」「通っている有名塾についていくために、もう一つ塾や家庭教師をつけなくてはならない」「本人のストレスが溜まり、言動がアンバランスになってきた」「相手の価値を偏差値に換算して、自分の態度を変える」……などの傾向が見えてきたら、「受験」のデメリットが、メリットを上回ってきた……と考えるべきではないか。
日々の生活リズムがその子にとって過酷すぎる、あるいは、そもそも早期受験がその子に成長度合いに合っていないかのどちらかだ。下手をすれば、教育虐待に一歩足を踏み入れている可能性だって否定できない……。

というのは、自分自身もそうなりうる可能性が大いにあるから。子どもを塾に通わせ、中学受験を視野に入れていた頃の私の精神状態は、かなりイライラ状態だったと思う。

「競争」から降りた(滑り落ちた)今でこそ思うのは、少なくとも我が子には向いていなかったということ。小学校高学年にもなって、小学生1年生や幼稚園生と無邪気に野原を走り回っている我が子の姿を見ると、つくづく中学受験は早かったのだろうなと感じる。
逆にうちの子の友達を見ていて、「この子は中受に向いているんだろうな~」と素直に思える子もいる。

物事にはタイミング 、向き不向きがある。
そんな当たり前のことに、よくやく気づけた。

勉強づくめだった頃には、本人はできなくて泣き、兄弟にきつく当たり、親は高額な授業料を払っているがゆえに出来なさ度にイライラし(自分のかつての出来なさ度は、思いっきり高い棚に上げ……)、という状況から、潔く足を洗ったのは、我が家にとっては良かった。

繰り返すけど、「受験」は一概に悪いものではなく、あくまで「家庭」と「その子」のキャラクターや資質の問題だと思う。

だって、サッカーも水泳もバレエもダンスも、みんな「その子」の(身体)能力や好み、資質の問題で、やったり、やらせなかったり、やらせたけどやめたり、再度別ジャンルをやってみたりするのに、なぜ「受験勉強」だけは、万人ができる(やるべき)となるのだろう。

やったけど、合っていない。

やったら、意外に合っていた。

やったら、心身体調崩すほど合っていなかった。

なんてざらにあるはずなのに、なぜか中学受験だけは、そのレースから降りるのに、清水の舞台から飛び降りるほど勇気がいる。

課金した額が多ければ多いほど、本人が「努力」した時間が長ければ長いほど、そのレースから降りるのはどんどんハードルが高くなる。

……ことがよくわかったから、下の子が仮に塾に行くとしても、本人の能力や資質や家計とのバランスなどは、よくよく観察しつつだな~と、思う昨今である。

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