点子

雑誌ライター&書籍構成ライター。3児の育児に奔走しながら、仕事やら趣味やらの毎日を送っ…

点子

雑誌ライター&書籍構成ライター。3児の育児に奔走しながら、仕事やら趣味やらの毎日を送っています。

最近の記事

「発達障害児は、私立学校が向いている」ってホンマかいな。

まず最初に述べておくと、「結論」はない。 これって、まったく同じ発達障害児を、公立バージョンと私立バージョンと、二つ通わせて比べてみないと、分からない答えだよね。 しかも、たまたま「私立が良かった!」場合も、「公立こそよかった!」場合も、それは「たまたまその学校とその子の性質が合っていただけ」かもしれず、一般化なぞできやしない。 私立だって千差万別だし、公立だって地域性があるだろう。当の子どもだって、性格も違えば強みも弱みも違うわけで、「そんなんあんたの子だからだろ」で終わ

    • 雑誌執筆は短距離走、書籍執筆は長距離走。そして私はマラソンが苦手。

      もう、まんまや。タイトル、まんま。 書籍執筆が続いている。なんかここ最近ずっと。 仕事をいただけるのはありがたいながら、なんかもう、気力とか体力とか能力とか、とても書籍執筆向きの資質は備わっていないんじゃないかと、もう10年ほど前から感じていたが、確信に変わりつつある。 幸か不幸か、雑誌に比べて頻度が低いので、あまりそのあたりの意識と直面しないまま来たが、もはやはっきりと悟る。 世の中の仕事はいくらそれが好きでも「仕事」になった瞬間に責任とか納期とか期待に応えられない焦

      • 原稿料提示は、執筆前か、後か。

        ちょっとびっくりするような原稿料を提示された。 過去に請け負った仕事の中でも、もしかしたら最低ランクかもしれない。 しかも、そこそこに名の知れた出版社であること、肝心の原稿はとっくに提出済み(1年前に)であることがポイントだ。 最初からいろいろケチがついた仕事だった。 「ケチがついた」なんて言葉は、品がないうえに、請け負った自分自身が悲しくなるから、これまでほとんど使ったはない言葉だけど、仕事によってはよぎることもある。 なんとなく、「これはちょっと……」と直感的に得た

        • 他者と比べるから……

          夏休み。 3人子持ちのワーママにとっては、全然「休み」ではない夏休み。 そういえば、昨年は「もう来年は、絶対に夏休みに仕事を入れるのやめよう!」と決心していたんだった。 「今年こそは、確定申告をすごいヨユーもって終わらせる!」 「原稿〆切一日前には必ず出しておく!」 と同じくらい、実現不可能なのに、それでも毎年新たに心に誓って、その誓いを夏休み後半で思い出す……という愚行を再び繰り返す2023年の夏。 でも、今年は総じて、例年よりも少し落ち着いた夏休みだったかも? 引っ越

        「発達障害児は、私立学校が向いている」ってホンマかいな。

          「人生年表」を書いてみる

          昨年あたりか、とある大学の先生に取材をした。テーマは学問的なことだったのだが、強烈に覚えているのは雑談で出た「人生年表」の話。 曰く、「大学時代の友人が、10代の頃から『人生年表』なるものを自作し、壁に貼っていた。その後、彼はそこに書かれたことほとんどすべてを実現しており、今では自分も、自ら『死』に至るまでの道筋を、『人生年表』に表し、貼ってある」とのこと。 私は驚愕したのだが、そんな私の驚きに対して、逆に先生に驚かれた。 「だって、今日は〇〇に行って、▽▽の取材をしよ

          「人生年表」を書いてみる

          「普通の子ども」って何だろう。

          放課後等デイサービス(という言葉は知らないが、優しい大人が見守る中、自分に似たような子どもたちが集まって、のんびりしたり、遊んだり、おやつを食べたりできるところ……と息子は認識している)に、また通いたいという自閉っ子の要望に応え、二か所の放デイを体験。 ああ、久しぶりだな、この感覚。。 一見フツーな子どもたち。 だけどやっぱりちょっとフツーではないハイテンションぶりに、フツーではないだんまり、フツーではない一方的なコミュニケーションや、フツーではない声のボリューム、フツー

          「普通の子ども」って何だろう。

          適度な「万能感」と「無能感」が、ライターには必要なのでは、と思う昨今。

          ライターを始めて15年ほど??経つが、常に「意外と私って書けるかも」という「万能感」と、「もしかしたらライターと名乗るもおこがましいほど、能力ゼロなのかも……」という「無能感」の狭間で生きている。 もう少し安定した情緒で仕事をしたいとも思うが、もしかしたら両方必要な感覚なのかもしれない……とも思う昨今。 「私って意外と書ける!」という勘違いも甚だしい「万能感」がないと、きっと必要な行数は埋まらないし、でも「私って天才!」という大いなる勘違いのまま突っ走っても、きっと文脈ブレ

          適度な「万能感」と「無能感」が、ライターには必要なのでは、と思う昨今。

          「療育」って何なんだろう。

          って、改めて最近思う。 正直、「療育」経験は、わりと豊富なほうだと自負している。 (自負ってのも変だけど) なにしろ1歳後半から、「療育」を子どもに受けさせてきた。 最初はもちろん「療育」と聞いても「????」で、「療育は早ければ早いほどいいので」と先生に言われても、「療育とは何ぞや」状態。 説明を受けても、いまいちピンとこないながら、実際に初めて見ると、これはいいなと。 それ以来、主治医に、「こんなにジャンルの違う療育を受けて、お子さん混乱しませんか?」と聞かれたことも

          「療育」って何なんだろう。

          中学受験レースから、エイヤッと飛び降りてみたら、心の平安が待っていた。

          東京都心部から、東京郊外へ引っ越し、4月の新学期から、それぞれ子どもたちは地元の小学校や幼稚園に通っている。 今回の引っ越しの裏テーマは、脱「競争社会」。 たまたま住み始めた場所で子どもが生まれ、幼稚園に通い、小学校に通い、あれよあれよという間に、東京都心の受験戦争マスト社会に飲み込まれていき……、確たるポリシーも子育て論もないままに、フラフラと気づけば親になっていた身としては、いったい何が正解なのか、何が自分らしい子育てなのかもわからないうちに、「たしかに勉強はしておい

          中学受験レースから、エイヤッと飛び降りてみたら、心の平安が待っていた。

          「取材質問案」を用意する派? しない派?

          取材前に、「質問案」をつくるか否か。 それぞれ流儀がありそうだけど、用意する派、が多い、、のかな?ライター仲間がいないから、知らんけど、そんなイメージ。 私は、いまだ「正解」を持たず、時と場合、取材の種類によっても変えている。 「質問案」を事前に用意することには、メリット・デメリットがある。 「事前に質問案を用意する」メリット ①土壇場で焦って脳内真っ白にならないで済む(あがり症や人見知りは特に←これ、私だけど) ②場合によっては、編集者は取材相手に「こいつ、ちゃんと

          「取材質問案」を用意する派? しない派?

          武蔵野な日々①

          思えば小・中・高・大と通った学校全ての校歌に「武蔵野」の言葉が入っていた。 「武蔵野の森」「武蔵野の大地」「武蔵の○○」。 好きな本は国木田独歩の『武蔵野』。 そんな私が満を辞して(?)武蔵野の地に移り住んだ。 広がる野っ原、流れる小川、小高い丘に、たんぽぽが咲き乱れる草原。 ここは桃源郷か??と思いながら、毎日散歩している。 ズボラで怠け者、家の管理やご近所付き合いも苦手。だからずっと都心のマンション暮らしがサイコーだと思ってた。 管理人さんがなんでもやってくれて

          武蔵野な日々①

          3児の母ライターが都心部から引っ越して仕事のやり方をうまい感じに進化させれるか、の巻。

          タイトルのままである。 都心部に住み、食事は惣菜宅配やUber頼み、洗濯も外注、家事サービス、民間学童、延長保育使いまくりで、なんだったら遅刻気味なら都内取材ならタクシーで乗り付けちゃうもんね、的な強気な働き方を10年間続けてきた3児の母フリーランスライターが、 某混雑で有名な路線の先の土地に引っ越し、 惣菜宅配も、洗濯外注も、家事サービスもなく、むしろ広くなった家を全て自分で管理しなくてはならなくなるという、四重苦を乗り越え、これまで通りのパフォーマンスを発揮し、仕事を継

          3児の母ライターが都心部から引っ越して仕事のやり方をうまい感じに進化させれるか、の巻。

          春、旅立ちの季節。

          息子が2歳から通い続けた療育センターを、今日〝卒業〟してきた。 転居に伴う卒業だけど、最後の通所に向けて走らせる自転車の上で、いろんな記憶がよみがえってきた。 超絶早い1歳の頃に、専門家の叔母の指摘で診察を受けて以来、雨の日も風の日も、歩きで、ベビーカーで、自転車で、タクシーで、療育センターに通い続けた。 妊娠中でお腹が張っているときも、生まれたての小さな妹を抱っこひもに入れても。 記憶の良いところは、思いっきり美化されること。 忘れやすい私は特に、「大変だったこと」も

          春、旅立ちの季節。

          なぜ、私は「ライター」になったのか

          どんなジャンルのライターになるか。 って、皆考えているのかな。 考えているんだろうな。 「こういう雑誌に書きたい」とか「ファッション系について書きたい」とか「文化っぽいの書きたい」とか。 私は……そういうのがなかった。 ライターになりたいと思ったこともなかったし、そもそもなんだったら「ライター」という職業があるってことも知らなかったよ。 「作家」「エッセイイスト」「編集者」という職業があるのは知っていた。 でも「ライター」は知らなかった。 というか、イメージが全く沸いていな

          なぜ、私は「ライター」になったのか

          確定申告・引っ越し、やることてんこ盛りな3月にじっくり本を読んでしまう愚行録。

          只今、絶賛書架片づけ中だ。 仕事も確定申告もそこそこに、なぜ今本棚の整理などという、うっかり手に取ったら最後読み始めてしまい遅々として進まない作業No. 1に取り憑かれてしまってるかというと、その理由は極めてシンプル。 引っ越すからだ。 そしてなぜに3月15日という、一年で1番イヤな数字の日、すなわち確定申告の締め切り最後の日によりにもよって引っ越しをぶつけてきたかというと、、その日を過ぎると引っ越し代金がほぼ倍に跳ね上がるからだ。 「85万円です」と引っ越し業者に告げ

          確定申告・引っ越し、やることてんこ盛りな3月にじっくり本を読んでしまう愚行録。

          ライター、紙媒体か、Web媒体か。

          私のライターとしての媒体は主に紙媒体だ。 紙の雑誌、紙の書籍、紙のMookで主にインタビュー記事を書いている。 紙媒体向けに書いたものを、のちに出版社が電子書籍やWebニュースに転載することはあっても、私が最初からWeb用に執筆したのは数えるほど。 もともと昭和生まれの人間で、紙の本が大好き。 電子書籍も読むけど、やっぱり紙の本が好き……だからじゃないだろうが、結局、紙媒体の仕事が多い。 とはいえ、Web用の原稿を書いてくれという依頼も稀にくる。 ちょっとドキンとする瞬間

          ライター、紙媒体か、Web媒体か。