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【訳詩とエッセイ】祈りと創作は決して無駄ではない (1430字)

祈り続けること   P・J・カヴァナ

ひばりが舞い上がり
空中で止まり
そこでさえずりを聞かせる
私の言葉が
届くところはなくても
気にしないと思う

さえずりが終わると
ひばりは地に帰る
暗闇を手のひらで覆う
全力で野を走っていた馬たちは
地平線と収穫物の所で
急に止まった

P・J・J・カヴァナは、この詩が載っている"Short Poems"というアンソロジーの選者の一人です。自分の詩の中で良く書けたと思うものを、載せたのだろうと思います。

カヴァナはイギリスの詩人で、俳優やテレビ局社員でもありました。インターネットで画像を調べると、若い時は端正で優しそうな顔立ちで、俳優として活躍したことも頷けると思いました。

この詩は最初に読んだ時は、良く分からずにそれでも何か伝わるものがあるのを感じて、訳してみました。初めにひばりが出てきますが、これはイギリスの詩の伝統を尊重しているのだと思います。イギリスの詩には、ひばりが出てくるものがいくつかあります。(例えば、シェリーの「ひばりに寄せて」)

後半に馬が出てきますが、これが何を象徴しているのかはっきりしませんでした。何度か読むうちに、時間のことではないかと思いました。時間はどんどん過ぎていき、人間の手で止めることはできません。全力で走っている馬とは、時間の比喩にぴったりです。

地平線と収穫物のところで止まったとは、難解な表現です。原文では、”horses suddenly stop their gallop at a horizon and crop"となっています。Pの音の連なりが心地よいリズムを作り出し、韻にもなっています。題が祈ることになっているので、その祈りが通じて止まったのかもしれません。通じたことが収穫物(crop)とつながります。収穫物は自分が書きたかった詩でもあるのでしょう。

結局この詩全体が、創作のことを表現しているのではないか、と思うようになりました。創作によって生み出された芸術作品は、時間を超えて未来に受け継がれていきます。前半の後半に書かれているように、自分の作る芸術(カヴァナの場合は詩)が多くの人に届くことは、簡単ではありません。でも、それを続けることに意義があります。

この詩の中では祈りと創作は、ほぼ同じものです。人間の祈りがかなえられることは少ないです。でも、生きていたら、祈らずにはいられないことが多いです。祈りつづけたら、この詩に書かれているように奇跡に近いものが起きます。自分が心から作りたいと願ったものが出来上がります。

私の解釈を書いてみましたが、これは絶対的なものではありません。詩は自分の好きなように読んで良いのだと思います。特に解釈を考えなくても、この詩が作り出すイメージは美しいと気づきました。空でさえずるひばり、はるかに遠いところを走る馬たち、祈る人と言った情景に浸るだけで心が洗われます。

noteで創作を続けるのは楽ではありません。自分の作ったものに関心を寄せてくれる人は、あまりいないだろうと思うこともあります。でも、続けることに意義があります。だからこの詩の題がPray(祈り)ではなく、現在進行していることを表すPraying(祈り続けること)になっています。ここまで書いて、この詩はnoteで創作を続けている人へのエールでもある、と気づきました。

この本からたくさん訳しています。選者の中にカヴァナの名前があります。何度も読んでいるので、ぼろぼろになってしまいました。




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