【訳詩とエッセイ】祖母との思い出は宝物 (1476字)

メヌエット  メアリー・メイペス・ドッジ

おばあちゃんが全部話してくれた
おばあちゃんが話してくれたので、信じるわ
どんな風に踊ったか話してくれた
昔々おばあちゃんは踊った
どんな風にかわいい顔を上げて
どんな風にちっちゃなスカートを広げて
どんな風にゆっくりお辞儀して立ち上がったか
話してくれた
昔々のこと

おばあちゃんの髪は明るく輝いていた
頬っぺたにはえくぼがあって
本当におもしろい
昔々おばあちゃんは本当に可愛い女の子
おばあちゃんに祝福を
帽子をかぶっていた
かぶっていたの
毎日お昼寝をして
でもおばあちゃんはメヌエットを踊った
昔々に

新しいやり方には特に注意しないとね
おばあちゃんは言う、でも男の子たちは可愛かった
(もちろん、女の子と男の子という意味)昔々はね
勇気があったけれど控えめで、とっても恥ずかしがり屋で
おばあちゃんは私たちにも踊ってほしかった
優雅なメヌエットで出会った人たちのように
昔々に

去年 ”Great Poems By American Women" という本を読みました。詩のアンソロジーです。その中でこの詩が一番好きだったので、翻訳してみました。メアリー・メイペス・ドッジは児童文学の分野で活躍した人で、日本語に訳されている作品は少ないようです。この詩は難しい言葉や表現は使われていないのですが、訳すのに本当に苦労しました。詩に生き生きとしたリズムがあるのですが、それを日本語に移すのは難しかったです。

この詩は懐かしい感じがします。それは2つの過去が書かれていることから来るものです。一つはおばあちゃんの過去で、もう一つは語り手の過去です。語り手の過去は、詩の中に書かれていません。でも詩全体から子供の頃に、おばあちゃんから聞いたことが、自分の大切な思い出になっていることが、分かります。明るい詩ですが、過ぎ去った過去を懐かしむ郷愁が感じられて、繰り返し読むと切なさも感じます。

ここに書かれているように、祖父や祖母の思い出は、どんな人にとってもかけがえのないものだと思います。子供の頃母方の祖母に育てられたので、私はおばあちゃん子です。この詩のように、自分のことを美人だったと言い張ることがありました。この詩を読みながら、祖母のことを懐かしく思い出しました。

私の子供の頃の一番最初の記憶は、祖母に背負われていることです。汗っかきな人だったので、温かい背中でした。祖母に背負われていると、ほっとした気持ちになったことを覚えています。母が病気で家に居なかった時期があるので、祖母が母親代わりでした。

祖母がよく作ってくれたおにぎりのことも、忘れられません。大きなおにぎりで、中に醤油にまぶしたかつお節が入っていました。器用な人ではなかったので、三角と言うよりボールのようなおにぎりです。田舎で近くにスーパーもなかったので、そのおにぎりをおやつ代わりに食べました。

気の毒な思い出もあります。祖父は軍隊に取られて、フィリピンで戦死しました。遺骨は帰ってきませんでした。祖母は祖父が亡くなったことを、完全に信じていないところがありました。夜に物音がすると、目を覚まして戸口で外の気配をうかがっています。朝にじいちゃんが帰って来たかも、と思ったことを話してくれました。こんな行動は何回も続いて、子供心に祖母のことが可哀そうになったことを今でも覚えています。

一つの詩を読んで、訳して最近はあまり考えなかった祖母のことを、思い出したのは良い経験でした。終戦記念日が近づいているこの時期に、改めて平和の大切さを実感します。作者のメアリー・メイペス・ドッジに感謝したいです。

この詩集です。もう一つ訳したので、機会があったら、いつか紹介したいです。

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