映画の話

アメリカンニューシネマとは。

ぷらすです。

『アメリカン・ニューシネマ』っていう言葉は、映画トークを見聞きしてると、たまに出てくる言葉なんですが、言葉は聞いたことがあっても、その意味はよくわからないって人もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

『アメリカンニューシネマ』は、ざっくり言うと、1960年代~70年代にかけて映画界に起こった、ムーブメントのことです。

で、アメリカンニューシネマを説明するにはまず、『ヘイズコード』を説明しなくちゃいけないんですね。
『ヘイズコード』というのは、1934年から68年にかけて犯罪・暴力・性的表現、反体制賛美なんかを細かく分類し禁止したアメリカ映画界の自主規制のことです。

このヘイズコードがアメリカ映画界で施行された理由は、いくつかあって、
まず1920~30年にかけて、アメリカでは自由を求める機運が高まり風紀が乱れに乱れていたんですね。
で、その機運にのって、ギャング映画や暴力やエロ表現のキツイ映画が大量に生産されたらしいです。

それで、カトリック団体や保守派の人たちに目を付けられまして、また映画人に多くのユダヤ系の方々が多かったこともあり、映画界への圧力が大きくなっていったらしいです。

そんなこんなで風当たりがキツくなってきたアメリカ映画界や映画人は、業界を守るべく、共和党政治家ウィル・ヘイズ、そしてPCAの別名「ブリーン・オフィス」に名を残すカトリック系ジャーナリストのジョセフ・ブリーンを招いて自主規制することで、映画界は反アメリカ思想や公序良俗を乱すような目的はないですよーという意思表示をしたわけです。

その後、アメリカは泥沼のベトナム戦争に突入。
まだ、報道規制がちゃんとしてなかったテレビニュースでは、戦場で多くの無残な死体や戦争風景が流され、景気も悪化、公民権運動でのキング牧師の暗殺やデモ隊への暴力が民衆の衆目を集まり民衆のフラストレーションが溜まる中、劇場ではスタジオやセットで作られた夢と希望に溢れた『嘘っぱち』の世界が上映され続け、結果、映画界はどんどん求心力を失い、映画製作会社は倒産の危機に瀕するようになります。

一方、時代は少々前後しますが、1950年くらいにヨーロッパを中心に映画界であるムーブメントが起こります。フランスではヌーべルバーグ、イギリスではフリーシネマ、日本では黒澤ですね。

それまでスタジオやセットで撮られるのが常識だった映画ですが、カメラを持っての全編ロケや、ストーリーがあるようなないような実験映画、斬られたり打たれたりした時に血が出るリアリティー・残酷描写などなど。

そうした、当時の映画界ではタブー視されていたことを、若い映画人を中心にやり始め、またその映画がヒットしたこともあり、アメリカでも若い映画人を中心に自由な映画作りが試された1967年、実在した銀行強盗のカップル ボニー&クライドの出会いから壮絶な死までを、全編テキサスロケで描いた低予算の犯罪映画『俺たちに明日はない』が、若者を中心に大ヒットしたことで、『イージーライダー』『卒業』『ワイルドバンチ』『明日に向って撃て』『真夜中のカーボーイ』など、社会の不条理に虐げられた若者や、反体制・反権力のアンチヒーローを主役に据えた映画が次々に作られ、それらの映画を総じて『アメリカンニューシネマ』と呼ぶようになったのでした。

ちなみに、この『アメリカンニューシネマ』ムーブメントを終わらせたのがシルベスタ・スタローンの『ロッキー』らしいです。
スタローンが書いた最初の脚本は、ニューシネマの様式に則っていて、最後はアポロに負けたロッキーがエイドリアンと二人、静かに会場を後にするというエンディングだったらしいんですが、プロデューサーが「これじゃダメだ」と、ラストをあの「エイドリア~~ン!!」に変えて大ヒット。
『アメリカンニューシネマ』は『ニュー・アメリカン・ドリーム』にとって変わられ、その幕を閉じたのだそうですよ。

以上、アメリカンニューシネマとはのお話でした。

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ちなみに、本文中にやたら「~らしい」とか「~だそうです」と書いてるのは、このnoteに書いてることがほぼ、映画評論家の町山智浩さんの受け売りだからですよーww
ではではー(*´∀`*)ノ

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