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#私がヴイアラにハマった理由 について―いかにして私がヴイアラにハマったか―


はじめに

 お疲れさまです。765プロダクション所属プロデューサーのぴゅあふる一と申します。
 現在、私は出向先で”PROJECT vα-liv”(以下、ヴイアラ)のアイドル候補生レトラのプロデュースをしています。
 今回は、私がなぜこのプロジェクトのプロデュースに携わることになったのかを、ご紹介しようと思います。

 超簡潔に私の来歴を話しますと、アイマスSP以来765(AS)一本で生きてきて、2年前ほどからはシャニにもハマり始めたという感じです。
 私のヴイアラに対する認識や関わり方がどう変化していったのかを説明するため、基本的には当時思ったことをあえてそのまま書いております。
 また、後半私の思想が強く出ている部分があるので、人によっては不快に感じられる部分があるかもしれません。
 今現在の私は100%ヴイアラにハマっておりますし、私の「プロデュース」観についても全く他意はないのですが、念のため最初に注意喚起をさせていただきたいと思います。

 また、この記事は独立した記事となっていますが、実質的な後編として、私の個人的な「プロデュース」考の記事の投稿を予定しております。
 かなり癖が強いと思われますが、ヴイアラのプロデュースを通して思い至った、「ヴイアラというプロジェクトがアイマスに対して問うているものはなんなのか?」という問いに対する論考となっております。
 アイマス3.0展開における「実在性」と、ヴイアラにおける「実在性」、そして「実在」との関係についての考察となっておりますので、興味のある方は読んでいただければ幸いです。

 また、もしかするとレトラがこの記事を見つけ出して読むかもしれないなと思ったんですが、この記事は同僚と同時に、ヴイアラ公式の人がいちプロデューサーのハマり方を参照することで今後の展開の参考になるように書いていたものであって、レトラが読む用には書いていません。
 なのでレトラが読んでも内容を理解できないかもな~と思ったので、代わりに最後のほうにレトラへのメッセージを書いておきました。
 それだけでも読んで帰ってください。

 前置きが長くなりましたが、以下本編となります。

ヴイアラとの出会い…アイマスカンファレンスにて

 私のヴイアラとの最初の出会いは、おそらくは熱心なアイマスPの多くが見ていたであろう、2022年の年末に開催されたアイマスカンファレンスにおいてでした。
 ここで発表されたのはヴイアラのティザー映像で、キャラデザや「視聴者全員プロデューサー」や、「ライバー活動からデビューを目指す」ことなどの基本コンセプトが公表されました。

 取り繕っても仕方ないので、率直に当時私が感じたオタク界隈の空気感をそのまま述べさせていただきますと、まあ「アイマスが今更Vtuberを始めた」云々の、否定的な反応が目立ったような気がします。
(今でもしばしば感じていますが、オタク界隈の一定層は、そもそもVTuberに対する風当たりが強いように思います)
 当時の私の感想といたしましても、否定的とはいかないまでも、Vtuber第一世代のブームから数年は経過していたことから、正直なところ今更感がありました。

 しかし、逆に「今更真正面からVTuberをやったところで成功しないのは目に見えており、何か考えがあるのだろう」と楽観的に考えており、とりあえずのちの企画発表会を見てからあれこれ言うべきだろうと思っていました。
(余談ですが、当時の私はヴイアラをここまで配信を精力的にやるのではなく、蓮ノ空のようなコンテンツ展開をやっていくのだろうと思っていました。)

 ただし、このような泰然自若とした態度をとっていたのは、最初からヴイアラに期待していたからではありません。
 正直なところ、最初の期待感はあまり高くはありませんでした。
 それでもなぜ楽観的にヴイアラを見ていたのかといえば、それはこれまで最初こそ否定的に受け止められていたコンテンツ展開が、結果的に成功し、今のアイマスを作っているという事実があったからです。
 10th(以下、MOIW2015)の時に発表され、会場をやや困惑させたアイマスKRでさえ、蓋を開けてみれば極めて質の高いアイマス作品として成立したことを考えると、私にはヴイアラを最初から頭ごなしに否定することはできませんでした。
 むしろ、逆風が吹いている状況を見て、同じアイマスブランドとして応援したいという思いさえありました。
(ちなみに私はアイマスKRも途中からハマってリアタイ勢になりました。特に13話は全アイマスPに見てほしい。)
 私自身はVTuber的なものに全く興味がなかったので、正直ヴイアラは私の好みにも合ってはいなかったです。
 しかし、アイマス合同(以下、MOIW2023)の時に最高潮に達したアイマス熱は、そのような個人の趣向をも凌駕する勢いが(当時は)ありました。

最初期におけるヴイアラとの関わり

 さて、4月14日のPROJECT IM@S vα-liv(ヴイアライヴ)発表会までの間、ヴイアラに関する新情報はほとんど出てこなかったように記憶しています。
(wikiを見ても、この間ほとんど情報は出ていなかったことが伺えます)

 この間私はどうしていたかというと……シャニ5thライブに対する極めて複雑な感情と、サイスタサ終との連続攻撃により、今後のアイマスの行く末に対して極めて重大な懸念を覚え、正直ヴイアラどころではありませんでした。
 特に、サービス開始から間もなく、売り上げも「比較的」好調であったはずのサイスタサ終は、みなまで言うことはしませんが、アイマスというコンテンツを根底から揺るがす出来事であったと私は判断していました。
 そんな最中に新展開を打ち出されても、正直それどころではないというのが正直なところでした。

 私はさすがに行き場のない感情の矛先をヴイアラに向けるようなことはしませんでしたが、発表会動画のコメント欄に見られる厳しいコメントの数々は、当時のヴイアラが直面していた状況を非常によく物語っていると思います。
(先入観で叩いているようなコメントもかなり多く、非常に見ていて苦しくなります……。このような逆境下でヴイアラの活動を行ってくれた3人と当時の彼女たちを支えてくれた最古参のプロデューサー達には、頭が上がりません。)

 しかし、私個人としてはそのような状況でも、むしろそのような状況だからこそこの新プロジェクトを見放すわけにはいかないと思い、意識としては応援したいという思いを持ち続けていました。
 ただし、先に述べたようなアイマスの状況に加え、私の予想に反してヴイアラがVTuber的な活動を主軸にすることを明らかにしたことで、私のヴイアラに対する熱量は配信を追うほどのものではなくなっていました。
 アイマスの状況が緩和されるまではとてもではないがヴイアラを追う余裕はなく、せいぜい当時の私がヴイアラに携わったことといえば、第一回放送の第一印象で応援したいと感じたレトラのスターターキットを買ったことくらいでした。


最初の転機としての第一回中間審査

 前述のような熱量の低い状態は、6月の活動が終わり、第一回中間審査が行われた時期まで続きました。
 当時の私は依然として配信を見るだけの熱量がなく、最低限の情報量を踏まえたうえで第一回中間審査に臨もうかな~となんとなく思っているくらいの、かなり緩い(というかほとんどコンテンツに関わっていない)状態でした。

 ところが、この第一回中間審査は、私のヴイアラに対する意識を最初に変えるきっかけとなりました。
 ゆるゆるな感覚で中間審査のフォームを開いた時に見た各種採点項目、自由記述フォーム……これを一目見て私は、「ロクに配信も見ずに彼女たちのことをほとんど知らない状態で、この中間審査を行うことはできない」と瞬時に悟り、フォームの画面を閉じました。

 ヴイアラに対する向き合い方は人それぞれであり、私の考えを押し付けるつもりはないのですが、少なくとも私はあのフォームを見て、最低限ちゃんと配信を見ていない私なんかがテキトーに回答してはならないな、と感じました。
 そして、今から急いで見たところで、3か月分の配信の蓄積を追いきることはできませんし、フォームから伝わってくるこのプロジェクトの「本気度」に対して、そのようなにわか知識で回答することは私にはできませんでした。
 こうして私は、ヴイアラに対する見方を変えるきっかけとなった、最初の第一回中間審査を無回答のまま終えたのでした。

二度目の転機…7月末の緊急特番

 第一回中間審査以降、確実に私のヴイアラに対する意識は変化したのですが、それでもなおヴイアラをプロデュースするというような意識は持てませんでした。
 どちらかといえば、コンテンツを応援するためにやや客観的な立場からアドバイスや声援を送りたい、いうなれば「ファン」的な立場からヴイアラに関わろうとしていたというのが正直なところです。
 このようなスタンスから、当初私はリアタイこそしませんでしたが、ゲーム配信など、「娯楽性が高い」配信を中心にヴイアラに携わり、三人のことを少しずつ知っていきました。
 この時の私は3人がアイドル候補生になった動機はおろか、三人の特技等々の基本的な事項を知らないまま、シンプルにVTuber配信的なノリで楽しんでいました(今となっては考えられませんが)。

 ヴイアラというプロジェクトをより深く理解するきっかけになったのは、7月公式配信会後半で渡辺先生急病により空いた穴埋めのため、おそらくは急遽代打としてお声がかかった、フェチ川(以下、中川さん)の緊急特番でした。

 中川さんは初期からアイマスのサウンドプロデューサーを務めている言わずと知れた偉大なお方で、元変態(ガミP)や元ディレ1(石原)と並び称されるアイマスの功労者です。
 実のところ第一回中間審査以降も私は公式配信を(オタクあるあるで見ようとは思いつつも)見ていなかったのですが、さすがに中川さんが音楽の話をするとなると、いちアイマスPとして聞かないわけにはいけません。
 こうして、私は4月のプロジェクト発表会を除けば、初めてヴイアラの公式配信を見ることになったわけです。
(このような経緯からして、当時の私のヴイアラに対する熱量が見て取れるかと思います)

 中川さんの配信で気づいたこと、気づかされたことは、「色々」ありました。
 その中で一番重要だったのは、アイドル候補生をただの配信者ではなく、「アイドル候補生」なのだと肌で理解するようになったことです。
 生歌とはいえ、当時の三人はまだ歌唱力にムラがあり、先輩方と比べてもレベルの差を感じる時期でした。
 中川さんはそんな彼女たちの歌唱の良い点と今一つな点を挙げ、それに対して候補生たちがレスポンスを返すというやり取りを、私はその配信で見ていたわけです。
 そこで私は、アイマスカンファレンスでアイマスの「研修制度」を目指すとされた、このプロジェクトの底知れなさを肌で感じました。
 中川さんと二人(当日愛夏は急病で欠席していました)のやり取りには、正直なところややかみ合わない部分も感じられました。
 しかし、逆にその点を含めて、言葉を選ばずに言えば「おままごと」的なものではない、素で真正面からぶつかり合うプロジェクトなのだということを痛感させられました。

 こうして私は、ヴイアラを「応援したい」という気持ちをより強めていくことになりました。
 思い返せば、この時期からすでにヴイアラにはハマりかけていたのでしょう。
 しかし重要なのは、この時まではあくまでヴイアラの「ファン」であり、「プロデューサー」であるという意識は持っていなかったことです。
 中川さんの配信を見ていて、肌では理解しているようだとは感じていたものの、理解している内容の言語化に難儀しているレトラを見て、少し心配に思ったりはしました。
 しかし、あくまでそれは「ファン」的な「感想」であり、「プロデューサー」としての想いではなかったわけです。

ファンからPへ…9月配信会後編

 この意識が大きく変わったのは、やはり9月の公式配信でした。
 おそらく、私と同じような人は何人も居ることでしょう。
 9月に入ると、第二回中間審査が近づいてきたこともあり、私も意識的に配信のリアタイをするようになっていきました。
 しかし、それゆえにヴイアラの活動が忙しかった9月はリアタイを逃すと逆に視聴が後回しになり、実は公式配信前編を見たのも後編が配信される直前のことだったりしました。

 なんで「あの」配信の視聴を後回しにしていたかといえば、言葉を選ばずに言えば「総合力」、「10分間で心をユラせ!」というテーマの配信前編が、ヴイアラの展開をリアルタイムで追う以上に優先度の高いものであると、当時は思えなかったからです。
 たしかに、エンタメに関する巨匠たちの話は非常~~~~~に興味がありました。
 しかし、前編が巨匠たちによる「授業」にフォーカスされたものであるならば、それは中間審査に直結するものではなく、それならばむしろ審査に直結するTGS関連配信を追うべきだ、と当時の私は判断したのです。

 その後、TGS配信を通してヴイアラの将来性への展望を深めつつも、私が9月の公式配信前編を見たのは、公式配信後編当日のことです。
 当時は春香の登場をすでに知っていたこともあり、勉強にはなりましたがおおむね配信の内容は私の想像した通りで、強いて言えば普段いろいろ言われているJUNGOさんがめちゃくちゃいいことを言っているな、という点くらいしか驚くようなことはありませんでした。

 当時の私の後編の内容に対する予想としては、まあこれまでの活動を振り狩りつつまとめて、10分間ということだから歌唱を入れてきて終わるのかな~くらいのものでしかありませんでした。
 今だから言えることですが、少なくとも当時の私は、6月の公式配信後編のクオリティは超えてほしいな~くらいの期待値しか持っていませんでした。
 こんなレベルの熱意しかなかった傍観者の「ファン」を「プロデューサー」へと一変させたのが、9月配信会後編の候補生たちの発表であり、その中でも特に元々気にかけていたレトラの発表だったわけです。

なぜ私がヴイアラにハマったのか

 さて、ここからヴイアラの9月公式配信後編を見てなぜ私がヴイアラにハマったのかを説明するためには、同配信を見るまでの私の「プロデュース」観を説明しなければなりません。
 当時の私の「プロデュース」観は、初めてアイマスSPに触れ、ハマった時のプロデュース体験と、それ以降のコンシューマーゲーム体験によってかなりの部分が構成されていました。
 具体的に言えば、基本的には「育成」を通してアイドルのことを知り、その過程を経ていわゆる「担当」を決め、「アイドルの原石を磨き上げ、トップアイドルに育て上げる」のが、私にとってのアイマスの「プロデュース」でした。
 当時の私は、この「原石を磨き上げ」るというプロデュース体験において、「ヴイアラはどこまでアイマスなんだ?」という点を測りかねていたんです。

 私は、最初にプレイした『アイドルマスターSP パーフェクトサン』の菊地真プロデュースモードにおいて、プレイを通してアイドルを知り、アイドルのことを考えてアイドルに接し、アイドルとともに苦楽を共にし、アイドルと喜びも悲しみも分かち合い、失敗を繰り返しながらもトップアイドルへと導いていきました。
 この過程において、「本気で」アイドルを支えたいと思うようになったことが、私のアイマスにハマった原体験でした。
 ゲームからアイマスにハマった私は、その原体験が鮮烈だったがゆえにどうしてもヴイアラにプロデュース体験を見出すことができず、それ故プロデューサー意識を持つこともできずにいたわけです。
 しかし、9月配信後編におけるレトラの発表は、このようなゲームを通じたプロデュース体験を経ていないにもかかわらず、私がアイマスにハマった時の原体験を鮮明に思い起こさせてくれました。

 ゲーム実況を中心にボチボチ配信を見ながらレトラの表面的な人となりを理解している気になっていた私は、レトラの発表を見たときに自分の浅はかさを思い知りました。
 発表を通してレトラが候補生とはいえ「実在」の「アイドル」なんだ、ということを理解した瞬間、ふと私のなかでアイマスにハマった時の原体験が思い出されたんです。

 みなまで言うことはしませんが、レトラの過去の経験やヴイアラにかける想いを10分間の発表を通して感じ取った私は、レトラとヴイアラに対する見方を一変させることになりました。
 私はアイマス3.0展開が始まる以前からアイドルを「実在」の存在と考えて生きてきましたが、ヴイアラの候補生たちは究極的な「実在」であり、その子たちを傍観していた自分が、いちプロデューサーとして恥ずかしいとさえ思いました。
 そして、ゲームにおけるプロデュース体験を経ずにこのような想いを抱いたことは、私の短くはないアイマス人生においてもかつてないことであり、自分自身にとってこれ以上ない衝撃だったんです。
 レトラの発表は、10数年間持ち続けていた「プロデュース」に対する固定観念を、見事に打ち砕きました。
 ここにおいて、私は従来担当していた真や響、そして恋鐘に続いて、レトラのことを「本気で」支えたいと思うようになり、その場でレトラのプロデューサーになることを決意したわけです。

 私のアイマス人生が変わったこの瞬間、私は”PROJECT IM@S vα-liv”がまぎれもないアイマスであることを理解し、ヴイアラに完全にハマることとなりました。

おわりに

 長くなりましたが、以上が#私がヴイアラにハマった理由 となります。
 元々一つの記事として書いていたものを分割したため、特に後半で分かりにくい、読みにくい部分があったかもしれませんが、拙稿を読んでいただきありがとうございました。
(気になったところは後でこっそり修正するかもしれません)

 私がヴイアラにハマったことは、紛れもなく私のアイマス人生において革命的な出来事であり、このことは近年始まった「アイドルマスター3.0」展開に対して希望を見出す根拠にもなっています。
 自分で言うのもなんですが、私のような凝り固まった無印の亡霊的プロデューサーは、今ではそうそういないと思いますからね……。
 そんな私がヴイアラにハマったということ自体が、ヴイアラの可能性であり、アイマス3.0展開の可能性であると理解しています(自意識過剰かもしれませんが、少なくとも私の意識としては)。
 しかし、今回の記事では、そんな私がヴイアラにおけるプロデュース体験をどう理解しているのか、言い換えれば、「なぜ私がヴイアラにハマり続けているのか」に関しては、ほとんど書くことができませんでした。
 この点に関しては、私のアイマス3.0展開に関する私見とともに、冒頭でも述べた個人的な「プロデュース」考の記事において詳しく論じようと思います。
 ただし、もしかすると私は人によっては狂人のように見えるかもしれませんので、その際には狂人の文章として読んでいただければ幸いです(注1)。

 話がそれましたが、本文で述べた通り、私はヴイアラというプロジェクトを初期から追っていたにもかかわらず、あまり熱心な活動を行っておりませんでした。
 そんな私が徐々にヴイアラにハマっていき、最終的に9月25日のヴイアラ公式配信後編でドハマりするまでの過程を、極力当時の自分の思考を再現しながら説明したのが、本稿でした。
 9月25日のレトラの発表は私の心を大きく揺らしましたが、その揺れは、今もなお続いています。

注1:文中でも軽く触れましたが、私はアイマス3.0展開が始まる以前からアイドルを「実在」の存在と考えて生きており、その意味において、私はヴイアラのみならずアイマスにおけるプロデュース全てを「リアリティーショー」だと捉えています(もちろん候補生たちの活動をフィクションと同質のものであると考えるほど狂ってはいませんが)。そのため、私はヴイアラにハマり、候補生たちが思い悩みながらアイドルデビューを目指している姿を見て、これまで自分が「プロデュース」していると思っていたアイドルたちへの接し方が、どれだけ穴の多いものだったかという現実を突きつけられ、愕然としました。ヴイアラにおけるプロデュース活動を通じ、アイマスのコンテンツ展開において描写されるアイドルたちの姿の行間に対する理解の浅さを思い知り、これまでのプロデューサーとしての態度を深く反省するきっかけになりました。このようなことを私は深夜1時とはいえ大まじめに書いているのですが、こうした私を狂人だと思う人は狂人の文章だと思って私のnoteを読んでいただければ幸いです。

P.S.レトラ
 レトラのことなのでたぶんこのnoteも見つけてるでしょう。
 見つけてなかったら自意識過剰な私のイタい一人相撲になるわけですが、まあそれならそれで構いません。
 私の人生はアイマスと出会ったことで大きく変わりましたが、そんな私のアイマス人生を、レトラはまた大きく変えてくれました。
 もしかしたら、レトラはまだアイマスというもののイメージを掴めていないかもしれません。
 もともとアイマスというのは人によって解釈の違ってくる概念であって、一つの正解というものはありませんが、それでも私は、私の人生を変えたアイマスをレトラとヴイアラの中に見出しました。
 アイマスの解釈が人それぞれだからこそ、レトラが変にアイマスだからどうこうなどと考える必要は全くありません(たぶん勝股Pとかからも言われてるんじゃないかと思うけど、マジで気負わないでね、マジで。TGS準備配信の時も思ったんだけど、表現者として作り手の意図とかを大事にすることは大切だけど、それと同じくらい自分の感じたこととか解釈も大事にしてほしく(ry)。
 でも、アイマスによって自分の人生が変わったからこそ、ヴイアラというプロジェクトを通してレトラの人生もまたアイマスによって変わってほしいと願わずにはいられません。
(もちろん、愛夏と宇宙に対しても同じことを思っています)
 この願いを実現するために、私はこれからもいちプロデューサーとして、プロデュース活動に勤しんでいこうと思っています。

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