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助産師10年目で大学院に進学した体験談

猪突猛進という言葉がありますが、まさしく私。
計画を練らずになんでもやってしまって、後から知って後悔することなんて日常茶飯事です。大学院進学を目指す方の参考になればと思います!

目次


1.大学院に進学したい!

わたしが大学院に進学したい!と思ったのは、助産師10年目の節目。青年海外協力隊を2年間経験した後に病院に再就職したものの、すっかり価値観が変わっていました。

「効率がいいのはわかるけど、本当にこれでいいの・・・?」と違和感を言葉にできずモヤモヤしていた時。同じことに問題意識を持つ人のところで勉強したいと思いました。

そのとき働いていた病院でそれを口に出すと、周囲の看護師や助産師はみんなびっくりして「何目指してんの?」「意識高いねえ」なんて笑いながら言いましたが、私は早速大学院を探し始めました。今思うと、先輩看護師が小馬鹿にする感じで言っても怯まなかったので、本当にその状況にうんざりしてたんだろうと思います。

2.大学院はどうやって決めた?

わたしがやりたかったことは、『助産師×地域×国際協力』

修士や博士課程を修了した助産師、助産院を開設した助産師、世界を股に掛けて働く意志のある助産師は既に周囲にいて、私がめちゃくちゃ尊敬している彼女たちは、私が困った時に助けてくれるだろうなって自信がありました(図々しいって思われるかもしれないけど)。

ひとりで出来ることには限りがあります。勝手に周囲の人をアテにして、私のやりたい『助産師×地域×国際協力』を実現するにあたり足りない人材は、地域に強い人だと思いました。「よし。私、地域看護を勉強しよう」ということで、助産師として地域看護の視点を強化したり、人脈を広げるために地域看護学領域で国際看護に強い先生に進学することにしました。

大学院を探してみると地域看護と国際看護を担当する先生はたくさんいましたが、私が言葉足らずであっても、私の思いに共感してくれると想像できる経歴を持つ先生を意識して探しました。私の場合は、途上国で長期間外国人であることを経験した人で、地域で外国人支援をしている先生を意識して選びました。自分が外国で2年過ごすまで日本に住む外国人は「支援をする人たち」イメージを持っていました。しかし、自分が外国人として言語や文化、色々な面において困った体験を経て、「共に生きる」方法を模索したいという思いに変わっていたこともあって、今振り返ってみると、その考え方を持つ先生であることは譲れないと強く思っていたと思います。

大学院は、2つ候補に挙げました。
1つは、自宅から通うことが出来るところ。もう1つは、県外でした。一人目の先生をA先生、二人目の先生をB先生としたいと思います。

2-1. A先生との面談

熱いメールを送って、A先生とお話する機会をいただきました。
その先生は、わたしが看護学生だったときに講演に来てくださった先生で、学会で見かけてチェックしていました。しかし、その先生は准教授の先生で、上司である教授2人が同席されました。

同席した教授からは、「熱いメールを拝見しました。」のあと、「学部生の時は量?質?」と聞かれて、なにそれ?ってなりました(量的研究、質的研究のことだったと、今ならわかります)。

「TOEICは持ってる?」と聞かれて、「お恥ずかしながら400点(990点満点)です」と正直に言いました。色々質問をされたあと、最後にここの大学院には留学生がいるので英語が話せないといけないこと(「A先生はTOEICの点数すごいもんね~」といったいじりつき)、この大学は学部から進学する人が多いので、最低限の研究の知識を持たないあなたは辞めることになるかもしれないので、科目履修生からなら受け入れますと言われました。

それぞれの大学に方針があることは当然です。でも、正直なところ、非英語圏で2年生き延びたことは自分にとって自信になっていました。それを、TOEICの点数や研究手法を知っているなどの知識で決めつけるられる感じが凄く嫌で、教授陣に私の思いを共感してもらうことは難しいだろうと思いました。また、大学の学部生の頃には、領域の先生の不仲でひどい目に遭っていました。進学すれば教授との関わりは避けられませんが、「うーん、なんか違う」と思いました。

2-2. B先生との面談

B先生は、県外の大学で教授をされていました。
B先生は、ある雑誌に寄稿されていた記事を見て「私がやりたいことを既に何年も前からしてる先生がいるんだ!」と思ってチェックしていました。
その先生の学歴を見ると、私と同様に看護職としての最初の学歴が看護専門学校卒で、「勉強で躓いたポイントは似てるのかも」と思いました。

B先生との面接で、一番に聞かれたことは「なんで大学院に進学しようと思ったのですか?」でした。そこで、日々のモヤモヤを語りました。日々の昇華できない思いをうまく整理できないながらも言葉に出すと、泣きそうになりました。

「あなたがやりたいことであれば、この領域で受け入れることが出来ると思います」とにっこり言われた時、すごく嬉しかったことを覚えています。ただ、「今住んでいるところから通うことは難しいですね。もし、通うことが難しいのであれば、あなたが住んでいる地域の近くに同じような研究をされている信頼できる先生がいますのでご紹介します」と言われ、自分が10年間看護職として経験してきた人を見る勘のみを頼りに、「B先生がいい」と強く思いました。一目惚れってやつだと思います。

3.仕事を辞めて後悔したこと

B先生は県外の大学教員だったため「どうせなら引っ越しして人生心機一転しよう」と思って勢いよく退職しました。

看護部長には、2年前から大学院に興味があることを伝えていたため、大学院進学を喜んでもらったことを覚えています。仕事を辞めても、派遣看護師をしながら2年くらいなら生きていけるだろうと思っていました。学費、生活費、住居費、2年間生活が出来るかどうか計算しました。余裕があるわけではないけど、生活出来ないわけでもないかと楽観的に思っていました。

3-1 税金に震えた

社会人として働いた稼ぎの税金は、翌年に掛かってきます。

翌年、大学院生として勉強をしながら、一気に引かれる税金に震え上がっていました。大学院には、NP(診療看護師)やCNS(専門看護師)などのコースがあり、私はその中で「ただ論文を書く人が入るコース」でした。

病院の収益になる専門性を大学院で学ぶ人たちに対しては、病院に貢献することを条件に手厚い奨学金が用意されていたり、支援金の制度がある(ハローワークで該当かどうか教えてもらえます)ため、他のコースの人たちは、そこまで税金が大きな痛手にはならなかったのではないかと思いますが、私は、モロにその打撃を受けました。

3-2 大学院の特色を理解していなかった

大学院の特色を理解しておくこと。とても重要なポイントだと思います。
私が入った「ただ論文を書く人が入るコース」は、学部から直接進学が出来ないコースで、全ての人が仕事を続けながら来ていました。入学してから知ったことは、仕事をしながら修士を取れることが特徴だったのです(!)

同じコースの同級生の年齢30代半ば(私が一番若い)~60代半ば。仕事をしている分、同級生たちは土日や寝る時間を削って学んでいましたが、退職してきた私と、仕事をしている同級生。大学院にかける時間や情熱が違いすぎて戸惑いました。

3年コース(2年分の学費で3年で修了するコース)を選択している同級生や子育て中の人もおり、研究室にいる大学院生は私くらいしかいませんでした。これは誤算だったので、パートで看護師を始めることにしました。でも、退職して行って良かった思うことは、在学中、教授に同行させてもらったり、短期留学などの大学主催の面白そうなイベントに迷わず参加できたことだと思います。

4.大学院に進学して良かったと思うこと

大学院に進学して良かったと思うこと。それは、学部から直接進学出来ない大学だったという特色もあり、看護職として活躍する同級生たちの火傷するほど熱い思いに触れることが出来たと言うことです。

一番最初に自己紹介と大学院に進学を決めた理由を聞いたときは、熱い思いに震えました。看護師としてそれぞれの立場でモヤモヤとした思いを持ち、看護を良くしたいと思っている人たちがいる。それを知っただけでも、「進学を決めて良かったな」って思いました。救急、ICU、内科、看護部管理室など、色々な部署で活躍する同級生たちと利害関係のない対等な立場での意見交換は、病院では実現しないでしょう。

職場で、他の同僚たちに「何を目指してるの?」「意識高いねえ」なんて言われたけど、日々の業務と愚痴を言い合うだけの毎日が良くなるとは思えませんでした。モヤモヤした気持ちを解消して、よりスッキリ整理された気持ちで臨床に戻っていくことは、価値のあることだと思います。

また、助産師として良かったと思うこと。助産師の世界は、女性だけで完結しています。男性看護師の視点で、助産師の世界を見てもらった時に、色々な矛盾があることもよくわかりました。男性看護師である同級生たちとの繋がりは、私にとって財産になると思いました。

5.大学院修了間近の今思うこと

2年で大学院を修了することは、退職してきた私にとって第一目標でした。でも、大学院に専念していた私でも、初めてやることが多すぎてとても大変でした。病院で看護研究をしていても、一人で全部やったことはありません。2年掛けて、論文のプロセスを学べたことは良かったと思います。

授業の中で、先生方は「自分がワクワク出来るテーマを選んでください。自分の好きなことじゃないと、心が折れてしまいます」とおっしゃいました。研究の話をする時に、ワクワクなんて言葉が出てきたときは凄く驚きました。臨床現場では、研究は上司にやれっていわれてやるもんだと思ってましたから。

私は、臨床で働き続ける上で違和感を言葉に出来ずにモヤモヤとした思いがあって、「このままでは嫌だ」と思って進学を決めましたが、確かに「このモヤモヤを抱えたままでは嫌だ」といった思いがあったからこそ頑張れたんだと思います。自分が明らかにしたかったことが明らかになっていって嬉しい反面、なんども心が折れそうになりました。同級生の言葉を借りると、この2年間、学校にいても、家族といても、遊びに行っていても、いつも「研究」と書かれた風船が自分の後ろを追いかけて見張られている感じがして、焦燥感がつきまといました。この風船は、大学院生という身分から解放されるまで、私達を逃がしてはくれません・・・。

A先生のところに面談に行った時に、教授たちに言われた「TOEICが何点か」問題。何度も英語論文を読みながら、「英語の基礎力があることは大事だった・・・」と思いました。論文を書く過程で、どうしても英語論文を読まないといけない状況に追い込まれます。しかし、英語を読む習慣のない私は、英語論文を見ることすらも嫌になり、英語アレルギーを発症し、1本の英語論文を見るだけで吐きそうでした。もちろん、翻訳サイトなど色々な技術を駆使してはいましたが(これは追々)、もうこれは心が消耗していたとしか言えません。しかし、正直日本語で書かれた論文は日本語を読める人たちの間でしか完結しないため、英語は大事です。これは私の今後の人生の課題ですね。

でも、A先生の教授陣の元で勉強していたら、A先生には助けてもらうことができても、教授陣にはついていけなかったと思います。B先生が受け入れてくれて、B先生やB先生が信頼している先生方に背中を押してもらって、応援してもらって、それでやっとここまでたどり着けたという感じです。この体験を通して自分が指導してほしい先生だけではなくて、周囲の先生の方針に共感出来て、自分が選択したことを納得できる先生を選ぶことが大事だと思ったし、私は今後B先生や、B先生の周囲の先生方に足を向けて寝られない・・・と心から思います。これからも尊敬し感謝します。

どうぞ、助産師など看護職から大学院を目指そうと思う方々には、情報をしっかり集めていただき、自分が納得出来ると思う先生のもとで勉強してください。誰かの何かの参考になれば幸いです。


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