長距離走

私は不幸を見つけるのが得意だ。自分の中の不幸。何もかも不幸に結びつける。だから、常に幸せを追求してしまう。30代になったのに、自分はこのままではだめだと、まるでティーンエイジャーのように焦燥感に駆られている。周りのみんなが恋愛して、結婚して、子供を産んで、家を建てて。仕事をして、認められて、昇進して。そろそろ人生に折り合いをつけて、自分の幸せを見つけていないといけないはずなのに、まるで私だけが15歳のあの頃に閉じ込められていて、人生を進めていられないみたいだ。

私の人生は周回遅れだ。人が若いうちに経験することを、私はまだ出来ていない。長距離走で、みんなが苦しい息切れとゴールの喜ばしい瞬間を経験している間、私はまだ靴紐を結んでいて、苦しいことも嬉しいことも経験していないみたいに。そして、そんな自分が大嫌いだ。

それでも別に、その長距離走に参加しないのが悪いってわけじゃない。悪いのは、その自分を嫌いでいるってことだ。もしも私がこれから立ち上がって、そのレースに参加して完走できれば、私は自分のことをとても誇りに思う。でも、もしもそう出来なかったからといって、自分のことを嫌いになる必要はない。靴紐を結びながら、競技場の脇に生えた綺麗なタンポポを見ていることに自分の小さな幸せを見出すことだって出来る。

そろそろ楽に生きられるようになりたい。だから、練習する。長距離走に参加できなかった自分のことを好きでいられる練習。きっと長くかかるだろう。でもそれは、とても価値のあることだと思うのです。


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