好きな作家の話

「〇〇について語る」っていうと、その内容に価値を求められているような気がしてならない。すごく"ちゃんとした"ことを喋らなければならないというような圧迫感が、「語る」という言葉から感じられる。そんな大層なことは言えない、私の「語る」はただのお喋りだ。

さて、好きな作家について語りたい。
特に今回は小説を書く人たちの話だ。よく小説を読むお気に入りの作家は何人かいるが、その中でもやっぱり私は原田マハに出会えて良かったと思う。
私は彼女の作品を全て網羅できている訳ではない、全然無い。それでも彼女の小説はいつも私の中で鮮やかに、余韻を残してくれる。人一倍傷つきやすいのに感情移入しやすい私は、小説を読んでいるときも描写によっては時折抉られるように辛い思いをすることがあるが、彼女の作品を読んでいる時はそれが無い。私にとっての残酷さがきっと彼女の小説には無いのだ、その中の言葉はいつだって温かくて、そっと心を震わせてくれる。

私は普段から涙を流しやすい質だが、泣くことが好きでは無い。理由は色々あるけれど、単純に泣くことは体力と精神力の両方を消耗するから、出来ればしたくないとは思う。そんな私だから、日本ではよくある所謂「お涙頂戴モノ」があまり好きではない。映画の宣伝や小説の帯に「感動」
の2文字をみるだけで興味を失うこともある。

表現が難しいのだが、宣伝からして「感動」を売りにしている作品は、作品の受け取り手の同情や精神的な痛みを露骨に誘うものが多いように思う。親をなくした子供が健気に頑張る話とか、愛し合っているのに恋人が事故にあってしまう話とか、暗に「可哀想でしょう?泣けるでしょう?」と言われているような気がして興ざめる。しかし心が痛いから生理的に涙は出てしまうわけで、そんな時泣いて疲れやすい私は「こうまでして泣かせたいか?卑怯なヤツめ!」なんて恨み言を投げたくなってしまう。

私にとって原田マハの作品はそんな安い感動を売りつけるものでは決してなくて、ただただ心に染み込んできてぽかぽか温めてくれるような、それに安心して思わず涙が溢れてしまうような、そんな存在なのだ。

小説を読むたびに、彼女の創る世界に生きられたらどんなに良いだろうと考える。あの言葉と表現で出来た世界に生きられたら。内側から見上げた世界はどんな風に見えるんだろうか。

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