見出し画像

幸せでいてほしい。

「今夜は麺類だね」という話になり、近所のうどん屋へ行った。
土曜の晩のことである。

うどん屋は我が家から徒歩7分の場所にあるのだが、この間の散歩が楽しかったから、ちょっと遠回りをすることにした。

『この間の散歩』とは、9月29日のこと。そう中秋の名月。
あまりに見事な月だから、食後に近所の川沿いをぶらぶら歩いた。
夜空に月、そして流れる雲。耳には虫の音とは何という贅沢か。

月はどんな形でも美しいけれど、秋の満月はちょっと別格な気がする。

写真をnoteに載せようと思っていたのに、またもや撮り忘れてしまった。
私の学習能力は死んでいるんじゃないか。

具にもつかないことを話していたのも、悪かったとは思うけど。

私は『歩きながら具にもつかないことを話す』という行為がとても好きなので、ついつい長く歩きがち。

でも、さすがにこの夜は短く切り上げた。何せお腹が空いていたもので。


暖簾をくぐると、うどん屋の店内には何組もの先客がいた。

それまでワイワイと話していたのに、うどんが来たとたん静かになる家族。
一人でのんびり、日本酒を傾けるおじさん。
黙ってテレビを眺める、老夫婦などなど。

そんな中、おかみさんが暖かいほうじ茶を注いで回る。
この『古き良き昭和』が色濃く残るうどん屋に、代々通うご近所さんも多い。

やがて私の元にもうどんが運ばれてきた。
この日頼んだのは、たぬきうどん。カリカリの天かすが魅力の一品。
出汁の良い香りに鼻をくすぐられながら、勢いよくすすり込む。

ああ、幸せだ。幸せだ。散歩とうどんで芯からまったく幸せだ。

我ながらなんと安上がりなことだろう。つい笑ってしまう。
でも、中秋の名月に匹敵する美しさではないか?

この瞬間が。すべてのものが。

妙に寛大な気持ちになって、どうかこの店にいる人たちが、幸せであるようにと願ったりする。心の中でこっそりと。

辛い気持ちを抱えていても、うどんを食べる瞬間はどうか、痛みを忘れますように。
美味しさで胸がいっぱいになりますように。

ささやかな喜びが、誰の胸にも灯りますように。

お医者を呪っていた私はこの夜、なりを潜めていたようだ。
いつもこうであれば、良いのだけれど。



昨日までは、ちょっとゆかいな記事を書くつもりでいたのです。

けれど今朝、世界に起きた新しい戦いを知り、どうしても書くことができなくなってしまいました。

正確には新しくないですよね。ずっとずっと続いていた戦いの規模が、大きくなっただけのことです。過去のあらゆる戦いと同じように。

思うことは色々ありますが、それでも自分にできることをするしかない。

なんか、とりとめのない記事になってしまって、ごめんなさい。






この記事が参加している募集

休日のすごし方

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?