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村上春樹の新刊に、テンションがバグっております。

こんにちは、ぷるるです。

正直今は春樹(普段の呼び方で書かせていただきます、お許しください)の新作を読むことに夢中なので、せっかくのnoteに身が入りません。

そのぐらい村上春樹という作家は、私にとって特異な存在なのです。

春樹というと未だにこの絵が浮かぶ。本人はもう爺さんなのに。

私は昔から自分を「本好き」と称するには、量的にも熱意的にも足りないよなーと感じていました。

それはnoteで書評等を読むにつれ確信へと変わったため、本の話を直球で書くことには遠慮がありました。

でも今日は上記の理由で、村上春樹以外のことを書けそうにありません。
よって不安ではありますが、頑張って言語化してみようと思います。


今回の新刊は「街とその不確かな壁」というタイトルですが、これを聞いてハッとした村上主義者は多いと思います。

村上主義者とは、本人から提案されたファンの呼称です。

というのは、春樹には全集にも収録されていない中編小説がありまして、そのタイトルが「街と、その不確かな壁」なのです。違いは句読点の有無だけですね。

発表後に本人が力足らずを痛感し、悔いを残した事が収録されない理由です。
読者からの質問にも春樹は「研究者以外は読む必要ないと思う」と、答えていました。

その代わりこの中編は、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」という長編小説に姿を変えています。

春樹にはこのように、短編や中編として書かれた作品が、後に進化・発展して長編小説となるケースがあるのです。
例えば「蛍」という短編は「ノルウェイの森」に。
「ねじまき鳥と火曜日の女たち」という短編は「ねじまき鳥クロニクル」に。

ただ、この2本はそれぞれ短編集に収録されていますから、今回がいかに特別かお分かりいただけると思います。

そう、今回の新作はリトライなのです。

私はこのことを星川玲さんの素晴らしい記事で知り、背筋がゾクゾクしました。

もちろん私にも完全新作を読みたい気持ちがありました。特に春樹の年齢を考えた時には。
しかし、それでも今回のリトライには感謝しかありません。

なぜなら「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は、私が初めて読んだ春樹の小説だからです。
そして長い間、その元となった小説も読んでみたいと思っていたからです。


私が「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだのは、25歳の秋でした。絶対に面白いから!と友人に手渡されたのがきっかけです。

そこで私は近所のカフェに行き、軽〜い気持ちで最初のページを開きました。

とてつもなく深い滝壺が、がぱっと口を開いているとも知らずに・・・

穏やかな川だって言うから、ボートで漕ぎ出したんスけど。

現実の世界と主人公の意識内世界でそれぞれ起こる物語。
それが同時進行しながら交互に描かれる作りは、私にとってすっごく斬新でした。

加えて文章は実に読みやすく、ユニークで真似したくなる表現が目白押し。
謎が謎を呼ぶストーリー展開も相まって、ぐんぐん引き込まれていきます。

途中でやめられなくなった私は、閉店まで読み続けました。

そして読みながら家に帰り(歩き読みが得意なんです)、読みながらご飯を作り食べ、お風呂もお手洗いも読みながら済ませ、その勢いで朝を迎えました。

そして読了した頃にはすっかり「村上主義者」に生まれ変わっていたのです。

彼の作品はジャンル問わずに片っ端から手に取り、制覇した後は既刊を何度も何度も読み返し、なかなか出ない新刊を待ちわびる、そんな女に・・・。

春樹だよお〜、春樹の文章をオレにくれよぉ〜・・・

村上春樹の長編はそれぞれテーマは違いますが、物語の形式は一貫して『ボーイミーツガール』だと思います。

主人公は自身にとって100%の相手を見つけ失い、再び取り戻そうとする過程で、深い深い闇(その場所は井戸だったり、地下水路だったり、山小屋であったりと、さまざまですが)に潜らざるを得なくなる展開です。

私も主人公と共に闇に入るわけですが、その時ちょっと不思議なことが起こるんですよね。

気づくと並行して私は自分固有の闇をも歩いており、これまで存在すら知らなかった『別の自分』と対峙する羽目になるんです。

小説とは本来そういうものかもしれませんが、その深さが他の比じゃないんです。
だから時に激しい痛みや孤独感、強い揺さぶりをもたらします。

春樹は数年おきに読者とメール交流を行いますが、その中で読者の一人が春樹の性描写を読むと、吐くほど苦しくてたまらなくなると書いておられました。
読後にいつもの日常を送らねばならないことが、たまらなく不安にもなると。

私にはこの人の気持ちが痛いほどわかりました。
春樹の性描写を読んでも私は苦しみを感じませんが、それは私たちの抱えるものが違うからにすぎません。

この人と私は、意識の底へ小説を媒介にたどり着いた点で同じなのだと思います。

これは再読の場合も変わりません。
人は刻一刻と変化をしていますから、その時々の自分にリンクした部分へと潜ることになるためでしょう。

例えば「ねじまき鳥クロニクル」という長編を最初に読んだ時、私は今ひとつピンと来ませんでした。
しかし数年後に再読したら、「激震」と言える強い強い揺さぶりを受けました。
同じ小説を読んだとは、とても思えなかった。

このように私にとって村上春樹とは、本当に『ごく個人的な作家』なのです。


今回の新作もボーイミーツガールの物語として始まりました。
主人公がこの世でただ一人、心をぴったりと重ね合わせる事のできる相手と出会うところから。

そして喪失をきっかけに、主人公は深い場所(今回は壁に囲まれた完璧な街)へといざなわれます。
私もまた己の闇へと、出かけざるを得ないでしょう。

主人公はどこに向かうのか。私は何を見るのか。

震えながら今、じっくり読み進めているところです。


(おまけ)

先ほど、春樹が10年おきぐらいにメールで読者と交流すると書きましたが、私もこれに参加しました。

そして春樹へ2度メールを送り、2度とも返事をもらいました!!

「村上朝日堂 はいほー!」というエッセイに、山羊座A型がいかに損ばかりしてわりを食う存在であるかという話があったので、山羊座B型の私も「わり食う山羊座」仲間に入れてもらえないかを聞いたんです。

そしたら丁重に「B型は仲間に入れられません、ごめんなさい」的なお返事が来ました。
まさか返事がもらえるとは思わなくて、ノリでくだらないことを聞いちゃったんですよね・・・・愚かなり!

反省して2度目はちょっと真剣な話を書いたら、それにも返事が来て鼻血が出るほど興奮しました。

当然みんなに見せびらかして、自慢しまくりました。HAHAHA!


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