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胡散臭さ

こんにちは。ぷゆです。




やっぱりパソコン一台で、生計を立てれるくらい稼げたらいいよねと思うのだけど、なんか分からないけどネットビジネスって胡散臭さがあるのだ。

noteでも申し訳ないけれど、人の気を引くような努力がされている文章は、どうも胡散臭く感じてしまう。

気を引くような文章は、100人いれば何人かはそれをクリックして、そのうち数人、お金を出して商品を購入するのだろうなということはなんとなく分かる。

けれど私自信、それがやりたいかと言えば、まぁやりたくない。

お金を稼ぐことは悪ではないし、数を稼ぐための涙ぐましい努力がなされていることも分かっているし、売る方もきっと騙してやろうなんて考えてない。ただビジネスとして成立させているだけだ。

なのにどうしても嫌煙してしまうのは何故だろう。

どうにも信用できない。冷めた目で見てしまう。

先日言葉の意図を重要視してしまうということを書いたのだけれど、文章でもその延長線で意図を汲み取ろうとしてしまう癖があるみたいだ。

この人はなぜこの文章を書いたのだろうとか、顔が見えないからその人の人物像だとか、性格とか雰囲気を全部文章から読み取ろうとする。

その中にビジネス的な表現、なんとなく記事への誘導や購入を煽るような表現などが散見されると、ああ、この人は結局お金が稼ぎたいのかな?となってしまう。

煽りなんかはみるからに煽っているような文章は結構その人の性格等が出ていて好きなのだけど、巧みに隠された煽りというか、いやらしさを隠すいやらしさというか、どうも胡散臭い文章がある。

胡散臭いと感じるものにお金を出そうとは正直思わない。

役に立つ文章も求めてない。

役に立つ文章というのは正直役に立たない。

困っている時は自分で調べて解決方法なんかを模索するけれど、SNS等を見ている時にたまたま出てくる役に立つ情報というのは、特に現状そこまで困っていないけれど、誰もが少し気になるようなそういう絶妙な情報のことだ。

現状そこまで困っていないことをわざわざ誇張して、購買意欲をくすぐられて手に入れた情報なんてものは実際に役に立つ情報だったとしても使わない。

購入してすぐは使ったとしてもすぐに使わなくなってしまう。


そう考えると、ネットビジネスは胡散臭さとの戦いだなぁと思う。

どれだけ胡散臭くても買う人は一定数いるのだろう。

けれどそのビジネスを、ほんとうに誠意を持ってやっている人は、できれば胡散臭さを出したくないと思う。

私だったら出したくない。

やはりそうなってくると''売っている人''が重要になってくるのかなぁと思う。

''売っている人''さえ信用していれば、どれだけ商品が胡散臭くても信用してしまえるだろう。

ネット上でどれだけ信用を得るか。

それがネットビジネスの鍵になってくるのではないだろうか。




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