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0.1の視界から見える世界

コポッ、コポコポコポッ。
掛け流しのお湯が、排水溝に吸い込まれていく。

・・・ゴーーッ・・・。
時々、思い出したように声をあげるボイラーの重低音が、不協和音を奏でる。

少し離れた露天風呂からは、女性たちの軽やかな笑い声が、風に乗って聞こえてくる。

ぼんやりと寝湯に寝そべったまま、うっすらと目を開ける。
虹色の模様が、瞼の裏側から出たり消えたりするのをうっとりと眺めながら、頭を空っぽにして、ただ、五感を研ぎ澄ませるひと時を楽しむ。

眼鏡を外すと、ほとんど何も見えない。
裸眼での視力は、おそらく、左右合わせて0.1もないだろう。
眼鏡を外すと、周囲のものがはっきりと見えなくなる代わりに、他の感覚が鋭くなり、視界に惑わされず、いろいろなことを敏感に感じられるような気がする。

太陽の日差しをたっぷりと含んだ空気は、1月の冷気を少し和らげてはくれるが、お湯につかっていない体の上半分は少しスースーする。
やがて、じんわりと背中からあたたかなものが広がり、心地よい温度が体全体を包み込む。

久しぶりに、ゆっくりと温泉につかっている。
時間を気にせず、自分のペースで温泉を楽しむのは久しぶりだ。
一緒に来た息子は、きっと、とうに湯船からあがり、食堂でご飯を食べている頃だろう。
悪いけれど、今日はゆっくりさせてもらおう。

寝湯から露天風呂に移り、岩風呂になみなみと注がれた、たっぷりのお湯に肩までつかる。
文字に顔をくっつけるようにして、壁に貼られた温泉の成分や効能をふむふむ、と読み耽る。東京の街中で温泉に入れるって、なかなかないことだよねぇ、と、その恩恵にあずかることができる幸運を、しみじみと噛み締める。

そういえば、亡き父はお風呂が大好きで、実家から車で20分ほどのところにあった行きつけの銭湯に、息子と私と父の3人でよく出かけたっけ。
その銭湯には畳敷の食堂兼休憩室があって、お風呂上がりにはラーメンや定食を食べ、ゴロンと横になって束の間の昼寝を楽しむのが、父のいつものスタイルだった。
コロナの影響もあったのだろう。
父が亡くなった翌年、その銭湯はひっそりと閉館した。

いつも当たり前にそこにあったものが、なくなる。
いつでも行けると思っていたのに、気がついたらもう、そこには存在しない。

そんなことが、人生の中では度々起こる。
そして、人は何かを失うたびに、こんなことなら、もっとああしておけばよかった、こうしておけばよかったと、後悔する生き物でもある。

後悔するのは、自分が本当はやりたかったことができなかった、という思い、言いたかったことが言えなかった、という思いが、心残りとなり、もやもやが心の奥底にたまるからだろう。

本音で生きたい、と思う。
周りを気遣い、我慢することも時に必要なことは、知っている。
でも、自分の大切な核となる部分を曲げてまで、それをすることは何かが違う、と感じる。

嫌われても、蔑まれても、相手を傷つけることがあっても、自分が大切にしていることは、伝えていきたい。

年末に見た「カルテット」というドラマの一シーンを思い出す。
失踪した夫が戻り、彼を愛している主人公の「まきさん」は、カルテットの仲間をおいて東京に帰ろうとする。
コンビニで「まきさん」を探し出した「すずめちゃん」が、まきさんを連れ戻そうと、強く腕を掴み「まきさん、どこへ行くんですか」と強い口調で問いかける。
「まきさん」は、「すずめちゃん」の耳元で、今にも泣き出しそうに顔を歪め、こう囁く。

「彼に、抱かれたいの」

この言葉に、私の心が疼いた。
そこには綺麗事も言い訳も、何もない、彼女の裸の心が、震えていた。

こんな一言を、私は人生の中で、何度言ってきただろうか。
そして、これからの人生で、何度、言うことができるのだろうか。

恋愛だけに限らない。
疑惑も、怒りも、感謝も、懺悔も、謝罪も、喜びですらも、大切な想いほど、言葉に出さず、封印してきたような気がする。
言葉に出してしまったら、誰かを傷つけたり、誤解を生じたりすることになりそうで、恐かったのかもしれない。

とはいえ、長らく「本音」を封印してきた私にとって、大風呂敷を広げて、それを白日のもとに晒すのは、簡単なことではない。

まずは、小さなことから、はじめよう。
お風呂から出たら、牛乳ではなくて、ノンアルコールのビールを飲もう。
体によさそうな野菜がたくさん入ったバランスのよい定食ではなくて、もろきゅうに、ポテトに、ビールがすすむような美味しいおつまみを食べよう。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲む。
その後は、アマゾンから届いたばかりの佐治晴夫さんの本をゆっくりと読もう。
自分の小さな望みを、一つずつ叶えてあげる。
まずはそこから、はじめよう。

重たい浴室の扉を開け、更衣室に入ると、ひんやりとした空気がほてった体に心地よくまとわりつく。
目を細めて番号を確認しながら、自分のロッカーを開ける。
バスタオルで一通り身体を拭い終わると、右手は自然と眼鏡を掴んでいた。
視界が一気にクリアになると同時に、私の中の様々な感覚が、すーっと日常のチャンネルに切り替わる。

さて、何を食べようかな。
キンキンに冷えたノンアルコールビールを思い浮かべ、ゴクリ、と喉が鳴った。














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