見出し画像

読書感想文『勇者たちの中学受験』

中学受験、嫌な響きである。
母親がこの本を、かつて当事者であった私や自分自身の事と重ねてこの本を読んでいるのを見て面白そうと思い、読むに至った。
この本には、三人の実際の体験(多少脚色はあると思うが)を、塾なども実名で、学校名も実名で記されている。
中学受験というものは、実に小さな世界であるし、人生という長い目で見てみれば、大学受験や就職活動に比べるとそこまでのビッグイベントではない、と思う。しかし、当の本人や親たちにとってみれば、ほぼ、人生で初めての家族単位で受け止めなければならないイベントとも言えるのである。この中学受験というものは、子どもの精神が一番繊細な頃にある。なおかつ、親も特に中学受験の経験のない親に関しては初めて尽くしで到底安定した精神でいられないというのは、想像に硬くない。親も子も嫌でも精神が揺らいでしまうというのが、中学受験というものである。そこを上手く乗りこなせないと、納得のいく結果は出てこないのである。この、納得のいく結果、という言葉は、難関校に受かれば良いというものでは無い。子ども自身が、自分に相応の、自分に合った将来を得られるかどうか、というところが大切なのである。その納得はもちろん、親にも伝播する。中学受験というものは、親と子の問題だけでは無い。ほぼ、確実に塾という、外的な要因がその関係に介入してくる。
塾、というものは主に富裕層に向けたサービス業である、というのをこの本を読んで嫌に感じた。この本で扱われている塾以外は異なるかもしれないが、少なくともこの本にある、大手塾が、利益重視であるというのはまあ、過去の経験から踏まえてみてもそうだろうね、という感想である。塾の声かけ、サポートひとつで、こんなにも子どもの納得感というものは異なるのか、と外的要因の影響力、その恐ろしさを感じるのである。
中学受験経験者で、なおかつ受験フリークである私は、中学受験を好意的に見ているが、その理由は平等であるからだ。しかし、その平等は金銭面、メンタル面から見ると決して平等ではない。社会の上澄みで起きている、見せかけの平等である。中学受験は親の狂気と金の殴り合いだとこの本を読んで感じてしまった。果たしてそこに子どもの意思はあるのだろうか、親のエゴや洗脳で子どもに納得させたのではないのだろうか。
中学受験、嫌な言葉である。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?