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「グッドバイ、バッドマガジンズ」の感想を書くつもりであったが気付いたら私のエロティシズム論になってしまった件

昨日、「グッドバイ、バッドマガジンズ」という映画を見た。この映画は成人向け雑誌(所謂エロ本)の編集部を舞台とした、実話を元にした作品である。サブスクリプションや電子書籍の台頭により、ただでさえ本や雑誌が売れない昨今、追い打ちをかけるように、2019年に起こった大手コンビニエンスストアはエロ本の陳列を制限していく。ただでさえ衰退の一途を辿っている出版業界の、更にオワコンとも言える部分にフィーチャーしている作品とも言えよう。

そんな世界に主人公の森が、新卒で入社する。この物語は彼女の成長譚としても見ることが出来る。森は推察するに、文系の多分国語学を嗜んでる女だろう。尚且つそこまで男性経験もなく、一種のロマンチシズム的思想を持ってるようにも見える。彼女が最初に書いた記事はエロスの欠けらも無いものであった。ここで、彼女は「エロとは何か」を周りに問う。

私はこの場面で教育係を任された向井の解である「関係性」という言葉に酷く頷いた。向井は、妻帯者である。おまけに妻の希望により不妊治療を受けようとしているという設定である。しかし彼は子作りに対してあまり積極的ではなかった。尚且つ、仕事柄交流のある元AV女優、現作家のハルとも関係を持っていた。意味もなく、セックスをするような関係であった。これより、彼の初めに言ったエロとは関係性であるという言葉に厚みが出るのだ。「関係性」という言葉の後に結婚指輪のカットが入るのが印象的であった。そのカットがあって初めて向井に対して観客は「エロス」を感じるのだろうと、私は思う。向井の思う「関係性」というエロスは、彼によって体現されているのだ。

エロとはなんなのだろう。稚拙な文章を書くようになってから、このことは毎日のように考える。さらに、最近澁澤訳の「O嬢の物語」を読み、この作品を見た私は、ますますエロについて考える羽目になっている。エロとはやはり関係性なのである。人物のセクシュアルな事柄に対しての高揚感、勃起衝動などは、あくまでエロの副産物でしかないのだ。関係性や、それによって起こる状況がエロなのではないのだろうか。エロいなという心をを生むのではなかろうか。

ただ縄で縛られているという状況だけでも十分にエロスは感じられるかもしれない。しかし、そこに縛り手と縛られる者の関係性を付け足したらどうだろう。たとえば師弟関係であるとか、教師と生徒であるとか、上司と部下であるとか。そういう関係性が後ろ側にあることによって、そのエロスは厚みを増すのではないのだろうか。

状況を淡々と説明した文章は、単調で面白味にかけることも多い。しかし、我々読み手は、感情を補完することができるのだ。もし、こんなことをされたらどうするか、そう考える時、初めて読み手は羞恥に晒され、服を着ているにもかかわらず性的な戒めを受けているような感覚に陥るのだ。

エロと簡単に言ってしまうと幅が広く世俗的であるが、実は最も奥深く崇高なものなのかもしれない。

……映画の感想ってなんだ?

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