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キミとの2ヶ月① 妊娠〜流産発覚


命を授かる

私は2歳になる息子を育てる28歳です。
息子は、寝ること以外に対しては手のかかる方の人間だと思います。(一人しか育てたことがないので比較のしようはないですが、勝手にそのように感じています。)
我々には子どもは1人でいいかもしれないという思いと、息子に兄弟ができたら、我々の家庭はどのように変化していくのだろうという期待とが入り混じる中で、2人目の妊娠がわかりました。
まったく計画通り、というわけではなかったので、驚き、不安、期待、覚悟、いろいろな感情が溢れ、パートナーに報告した時には声が震えてしまいました。
しかし、授かったものはありがたく、大切にしていこうとすぐに腹を括りました。

つわりとの闘い①

1人目の妊娠初期にもありましたが、今回は前回より少し早い段階でつわりを感じるようになりました。私の場合は、何かを食べている間は調子がよく、食べ終わったりお腹がすいてくると気持ち悪くなる、いわゆる食べづわりでした。特に勤務中は容易に何かを食べることが難しい業種ですので、日中は結構しんどく、お休みをいただく日もありました。また、夕方になるとだんだん酷くなる傾向もありました。
1人目の時は、仕事さえ乗り切ってしまえば帰宅後は自分の体だけを労わればいいし、家では好きなタイミングで何でも食べられたのでまだよかったのですが、今回はそうはいきません。帰宅したら息子の世話をしなければいけないし、自分が何か食べていると息子がそれをくれとねだってくるため、軽い気持ちでは食べられない、そんな日々でした。
ある日、つわりでお仕事をお休みした日、育休中である夫が
「家では(息子がいるから)ゆっくりできないだろうから、可能ならどこかでゆっくり休んでおいで。」と言ってくれました。
つわりで休んでいるのだから家で寝ていなければいけないと思っていましたが、つわりで仕事を休み家で息子の相手をしていてはそれこそ休みをもらった意味がないと思い、私はマンガ喫茶でのんびりと休ませてもらいました。

それでも、帰宅後は息子の相手をするし、夕方になるとだんだん気持ち悪くなるしで、結構きつい毎日でした。でも、お腹の子が頑張って成長しているんだから、、という気持ちで乗り越えました。
仕事は目一杯周りの同僚や上司に頼り、家庭はパートナーと協力しながらすごした妊娠初期でした。

妊婦健診 ~心拍なし~

初回の健診では、まだ小さく胎嚢しか見られなかったため、2度目の健診で心拍が見えたら、証明書を出すからねと医師に言われていました。
健診当日、診察室に入ると医師の机に、母子手帳を申請するための書類が置いてあるのが見えて期待が高まったのを覚えています。
「つわりはどう?」「何か体調に変化はない?」
など、医師は穏やかに問診してくれて、その後内診台に上がりました。
内診台からは、エコーの画像が見れるようになっています。
それを見ながらいつも通り診察を受けて、エコーの画像を見ていました。

「あら、、これ動いてないかもね…」

医師は静かにそう言いました。そして何度も何度も丁寧に心拍を探してくれたり、エコーをじっくりと見てくれていましたが、素人目に見てもエコーに移る小さな子は動いているようには見えなかったし、
ドクドクと聞こえるはずの心拍もいつまでも聞こえてきませんでした。
覚悟はしていました。妊娠初期15%の割合で初期流産が起こることは知っていたし、周りにもそういう友人は何人か知っています。
知っていましたが、知っていただけでそれまで自分事には捉えていなかったことを思い知りました。

私は、仕方のないことなのだから強く在らなければいけないと思い、
医師からの説明を毅然とした態度で受け、その後そのまま行われた術前検査の採血も、看護師に涙を見せないように心を違うところに飛ばして、時間が過ぎるのを待ちました。怒涛のように手術の説明をされて、それを必死に頭に叩き込むことで悲しみを押し殺して帰宅しました。

職場への報告

私は子どもと関わる仕事をしており、
体を動かす機会が多いため、
早期からつわりがあり、体を大切にしていくためにも妊娠が分かった段階で職場の上司に報告をし、勤務内容の配慮をしていただいていました。
そのため、流産したことも報告する必要がありました。
家族よりも職場に報告することの方が私にとっては辛く感じました。

これまで配慮してもらったのに
色んな人から「おめでとう」って言ってもらったのに

心優しい方の多い職場なので、
『変に気を遣わせてしまうだろうな』
とばかり思い、報告するまでに少し時間がかかりました。

つわりとの闘い②

稽留流産の診断から手術日まで10日ほどあった。流産するとつわりが収まる人もいるようだが、私の場合は変わらずにつわりが続いていました。
このつわりが辛かった。
「お腹の子のためなら」と乗り越えるしかなかったのが、頑張る理由がなくなってしまっいました。

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