2023.10.20

たまに、こう読んでいる本と生活が繋がることがある。というか本によって言葉が与えられ、知識によって視界が開けるような感じ。今日はまさにそれだった。千葉先生の「現代思想入門」を再読した。前に読んだのは結構前で、人に貸していたが最近帰ってきたことと、現代思想の授業の参考文献に上っていたこともあって自然に読み始めた。文化人類学の授業で話していたのは物事は文化や社会、時代、場所によって容易に姿形を変え、私たちも違うように捉えてしまうということ。あ、存在の脱構築だ、と話を聞きながら思った。あるテクストでの意味合いが他のテクストでは無意味で、でもこことは繋がっている。この容赦ない接続と断絶の連続と関係性が網の目のようで、最近ハイデガーの有意義性について学んだことを思い出した。そう言えば、現代思想の授業では先生が「人は空虚に目を向けないために何か夢中になることを探す。でもその空虚さや自分の失敗を見ないと本来的自己の獲得にはつながらない」って言ってたね、と友達と話す。ああ、存在の脱構築だぞ、と思う。自分でそのバランスを選びながら自分で目を向けていかないと。
今日は本当に繋がる日だった。繋がっていた。自分が何を切断したのか、切断したかったのかを思い出した。


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