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将来が不安である。

大学を今年の4月に卒業して(追放されて)、既に半年が経とうとしている。

在学中に就職活動もろくにしてこなかったので、現在はコンビニのアルバイトをしながらなんとか糊口をしのいで生活をしている。

「学校」というものに守られて20年間経ち、その保護もいまや失ったわけであるが、意外にも快適である。その理由を下記に記したい。

「学校」が嫌い

 私は学校が嫌いであった。今でもその過去を思い出すと冷や汗の出るような気持ちである。サイズが合わないダボダボの、しかも通気性も酷く悪い学生服を強制的に着せられ、毎朝眠い目をこすりながら登校する。私は、中学生の時から、サラリーマンってこんな感じの生活リズムなんだろうか、だとしたらこんな嫌なことってないよなあと思っていた。今でもスーツを着て仕事がしたくないのは、そんな経験の積み重ねからなのだろう。

 しかし、ここまではまだ良いのだ。そこまで我慢が出来ないことはない。問題はクラスメイトとの付き合いである。私は ー小学生の時であるがー こっぴどくいじめられていた。いじめの内容はというと、毎日のように金をもってこいと脅された。遊ぶ金が無くなるとすぐに私の金を強奪し、ゲームセンターなどで豪遊するのだ。それまで私の ーコツコツお年玉を溜めていたー 10万ほどの貯金していたお金が、わずか1か月で消えていった。金を持ってこられないとひどく殴られるので、それを恐れた私は次第に親の財布から金を抜き取り、彼らに上納するようになった。この日々がおよそ二年ほど続いたであろうか。

 徐々に、私の両親が財布の中の金が減っていくことに気付きはじめた。私は両親から問いただされ、全てを告白した。自分が同い年の少年から弱者としてターゲットにされ、いたぶられてきたことを言葉にして認めるのは、酷く屈辱的だった。また、母親が私にビンタをして泣き崩れるのを見て、「悪いのは、ぼくなの?」と泣きそうになったのも覚えている。

 私の両親が学校にいじめを告発したのを機に、表面的ないじめはなくなった。しかし、私の中には、そのいじめっ子に対しての恐怖感がしっかりと刻まれていて、その力関係は中学校を卒業するまで、変わることはなかった。

かくして、私は同年代の人々に打ち解けることが出来ない体になってしまった。また、いじめを経験したことにより、もう誰にも舐められたくない、負けたくないという感情が人一倍強くなり、誰一人として対等に付き合うことが出来なくなってしまったのである。私が人間的な付き合いをほとんど見事に回避してしまうのも、歪んだ虚栄心をいつまでも抱き続けているのも、ほとんどこのいじめが発端にあるといってよい。このようにして、私はおびただしい数のクラスメイトが生息する「学校」そのものを嫌いになってしまったのである。

「組織」が嫌い

 私が学校を嫌うようになったのは、上に記した。そんなにいうなら、社会に出て働けばいいのではないかと、賢明な読者諸賢は言うだろう。しかし私は、大学を卒業するまで、嫌々ながら学校に通っていたのである。社会の中で働いていくことを躊躇わせる理由があったのだ。

 長い学生生活の中で私は、今の過酷な状況からせめて意識だけでも逃れようとして、とある妄想を抱くようになった。それは、学校さえ卒業してしまえば、後はお金を稼ぐために働けばいい。学校さえ出てしまえば、後の私は自由なのだ!誰にも縛られることなく、自由に生きられるのだ!というような内容である。会社は、単なる営利組織であるから、お金さえ稼ぎ出すことが出来れば、面倒な人間関係などほとんど回避することが出来る場所なのだ、と都合よく妄信していたのである。

 そして大学生であった私は、よく働いた。大学での勉学はそこそこに、様々なアルバイトを懸命にこなそうと努力した。私はこの時、お金さえあれば世の中の苦のほとんどを回避することが出来ると信じていたのである。清貧の思想など、嘘っぱちだと思っていた。だから、ー結果的に三日坊主で終わったがー 株や投資の勉強もしていた。

 だが、結果的に、私のお金をガシガシ稼ごうという目論見はほとんど失敗に終わる。なぜか。私は職場の人々との折り合いさえ、ほとんど上手くつけられなかった。会話が上手く出来ない。笑顔もぎこちなくなる。また私は要領が悪く、ほとんどどの職場でも、動きが遅い、緩慢であると叱られた。

 名前こそ出さないが、とある引っ越し会社のアルバイトをした際には、余りに自分に対する暴言が酷いので、途中で這う這うの体で逃げ出したこともある。怖かった、とにかく殺されるかと思った。私はあまりに恨めしく、その引っ越し会社のユニフォーム ーああ、なんと鮮やかなピンク色をしているのだろう!ー を、河原の土手で泣きながら燃やした。この時の涙を、私は一生忘れることは出来ないだろう。

 私は裏切られ続けた。会社は、営利組織であるから、もっとドライであると思った。性格が暗くても、問題ないと思った。だが、違った。会社はほとんど学校の延長である、と知ってしまったであった。おびただしい数の人間が、会社という組織の中で蠢いているのである。私は、ほとんど打ちのめされた気持ちであった。就職活動など、前向きな気持ちで出来るはずもなかった。

少なくとも、「今」は満足している。

 現在、大学を放逐されて、半年も経つが、このある程度の自由さには満足している。こうやってものを書いて、わずかではあるが読んで下さる読者の方もいて、それなりの充実感を覚えている。この道の先に自分の望んだ未來があるのかはわからない。いや、ほとんどないであろう。それでも書くことは続けたいと思う。これ以外に、自分を証明出来る物は、いまのところ見つからないのだから。

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