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もう生きてたって仕方ないかな。

日本は自殺が多い国とよく言われます。
世界での自殺死亡率はTOP10に入り、先進国の中では最も高い結果となっています。昨年は2万2千人ほど、つまり毎日60人もの人が、日本のどこかで自ら命を絶っているということになります。

私は事業を通していつの日にか自殺者数を限りなく0にしたい、という想いを持っている人間ですが、だからといって「自殺なんて絶対だめだよ」「生きてればそのうちいいことあるよ」なんてことを言うつもりはありません。

場合によっては死んでしまった方が良いと思うくらいの状況に陥ることも、決してなくはないと思います。

実は私自身、これまでの人生で何度か自殺を考えたことがあります。
今振り返ると別に大したことじゃなかったなという状況ばかりですが、当時はいっぱいいっぱいというか、少なくともその時の自分にとっては死を考えるほどの状況だったということです。

結局自殺せずに生きながらえたのは、生きることに希望を見出したというよりは、むしろ死ぬ勇気がなかったという方が感覚的には近いような気がします。

「だから自殺する人の気持ちがわかるんです」というつもりは微塵もありませんが、意外と自殺って身近なところにあるものなんだと思うんです。一度や二度考えたことがある、という人もいらっしゃるんじゃないでしょうか。


自殺報道などがあると、「命を粗末にするな!」とか「何でそれくらいのことで死んじゃうんだよ」とか「そんなに嫌なら逃げれば良かったのに」とか、勝手なことを言う人がいますが、その状況がどれくらい辛いものか、どんな想いで死を選んだのか、なんてのは本人にしかわかりえないもので周りがとやかく言うことではありません。

周りから見れば大したことない状況でも、本人からすると死を選ぶに値する状況なのかもしれません。生きてたってこの先辛いことしかないって思ってしまったら、ここで人生辞めちゃおうかな、となってもおかしくない。

「いや!生きてれば絶対そのうちいいことあるんだって!」と一点張りされても、「その保証は?」と問いたくなる。それがあれば死なんて選ばないよと。

いずれにせよ、自殺の最終的な理由は当人にしかわかりません。


もしかしたら特に理由なんかないのかもしれない。


今から3年前、俳優の三浦春馬さんの自殺報道がニュースで流れたときも、「イケメンでお金もあって、俳優としても評価されてて、周りからも愛される性格なのに、自殺するのはおかしい。」という声がありました。

「会社をクビになったから自殺してもおかしくない」
「子どもが生まれたばかりだから自殺するはずない」
「事故で両足を失ったから自殺したのだろう」
「来月に旅行の計画を立てていたのだから自殺はおかしい」
「SNSでの誹謗中傷が辛いから死を選んだのだろう」
「女性ホルモンの注入で情緒不安定になったから自殺したのだろう」

こうした「健やかな論理」で自殺を片付けるのは、少しばかり短絡的なのかもしれません。

また東京に住んでいると、しばしば電車への飛び込み自殺のニュースを耳にします。
そうすると大体決まって「損害賠償額がすごいのにバカみたい」「他人に迷惑がかからない場所で自殺してくれよ」みたいな、心ないツイートが書き込まれます。

「電車への飛び込み自殺は、損害賠償や他人への迷惑などが発生するから自殺方法としてふさわしくない(この手段を選ぶのはおかしい)」というのも、これも健やかな論理です。

けれど、たぶんそんな単純なことじゃない。

健やかな論理で世界をみてはいけない。

この「健やかな論理」という言葉は、作家の朝井リョウさんの「どうしても生きてる」という小説の中に出てくる言葉なのですが、この小説の中で描かれている、自殺報道に対する主人公の胸中が、個人的には真理に近いんじゃないかなって思います。

なんか、もう、いっか、
って、思ったんだろうな。
わかるな、なんか。
こういうことがあった辛くてたまらないもう死にたい死にたい死にたいって助走があるわけじゃなくて、ふと、なんか、別にもういっか、ってなる瞬間。
いきなり風が吹いたみたいに、わって。
よくわかんないけど、めちゃくちゃよくわかる。

朝井リョウ,『どうしても生きてる』,幻冬舎,2019年


「なんか、もう、いっか」という瞬間に健やかな論理は入り込みません。

衝動的に、それはあるいは「ちょっと今日は違う道を通って帰ろうかな」くらいの緩やかな衝動なのかもしれませんが、ふっと、決断する。


そうした衝動にどう抗えるのか、
私たちはまだその答えを持ち合わせていません。

ただ、ふとこの世界から消えたくなるのと同じように、ふと誰かに会いたくなることだってある。

誰かが「もう、いっか」となる瞬間に、「なんとなく、あの人に連絡してみようかな」と、ふと脳裏に浮かぶような、そんな存在でありたい。

自分という存在が、誰かの自殺を止める何気ないきっかけになる。そう、ありたい。

こうした想いを一人ひとりが持つことこそが、
緩やかな衝動に抗う、唯一の確かな手段なのではないでしょうか。





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