二級ボイラー実習日記2「力こそパワー」
読者の皆様は、「ボイラー」と言われて何を想像するだろうか?
私は、2022年11月にボイラーについての勉強を始めた。なんでそんなこと始めたの? みたいな話は、至ってわかりにくい経緯ではあるが昨日の日記事始めに書かせて頂いた。
実際は、2022年11月の前から、何人かには「ボイラーやろうと思ってるんだよねー」みたいなことは話していた。勉強を始める前からも、始めた後も、よく聞かれるのは、「サウナ好きだから資格取るの?」ということで、結構、世の中の多くの人は「ボイラー」=「温浴施設」というイメージを持っているように思える。
私自身もそうだった。私はいわゆるサウナ好きの部類だが、銭湯とかの温浴施設にはボイラーがあって、ボイラーでお湯を炊くことでサービスを提供している、という漠然とした認識はあった。とはいえ、だからボイラーを勉強することにしたわけではないのだが、認識はあった。
というか、各家庭にある「湯沸かし器」みたいなものは、あれは言ってみれば小型のボイラーだし、エスプレッソマシンなんかもボイラーの一種だ。というか、ヤカンなんかも乱暴に言えばボイラーだ。
「ボイラー」という言葉そのものが、「ボイルするやつ」という意味、すなわち、「沸かすやつ」の意なので、なんか沸かすようなものはボイラーと言えるのかもしれない。ボイラーというのは、基本的には水を沸かす道具全般のことだ。
で、中でも大型のものは、爆発したりすると危険だし、取り扱いに知識が必要なので、管理するための資格が必要。ゆえに、今回受験した「二級ボイラー技士」という職業も生まれるということだ。
じゃあ、お湯を沸かすわけだから風呂屋で良いじゃないかということになるが、勉強を始めてみると、それがどうもそう単純ではないことに気づく。
ボイラーには、「結果的に何をつくり出すか」によって2種類のボイラーがある。1つは、お湯をつくるための「温水ボイラー」。風呂屋とかで使うのはこれということになる。
で、もう1つは「蒸気ボイラー」だ。これは、お湯をつくるのではない。文字通り蒸気をつくるボイラーだ。
二級ボイラー技士の勉強をしていると、学習内容の大きなパーセンテージをこっちの「蒸気ボイラー」の領域が占める。温水ボイラーは、そもそも仕組みが結構単純だし、語弊があったらごめんなさいだけど、「あー温水ね。温水ちゃんはまあぬるいから適当にやってくれればいいよ」感が教科書から漂っているような気がする。
一方で、蒸気に関しては、やたら事細かに書いてある。この業界では、明らかに「蒸気が花形」であり、「温水はまああれだ。がんばれ。」みたいな感じに見える。節々に、「蒸気重視」「温水蔑視」な感じが漂っている。
じゃあ、蒸気沸かしてどうすんだよ、という話だが、蒸気っていうのはエネルギーを帯びていて、そのエネルギーでいろんなものを動かしたりできる。それが、「蒸気機関」だ。そう。産業革命時代を切り開いたあの技術だ。ボイラーの教科書からは、この、産業革命を引きずった感じの、「俺たちは蒸気で世の中を動かしてるんだ」的なプライドが感じられる。なんていうか、いわゆる「力こそパワー。パワーこそ力。」みたいな感じだ。
たとえば、蒸気機関車。「ポッポー」なんて言って煤を出しながら走るアレだ。あれは、ボイラーだ。先頭車両の石炭入れて煙を出す筒みたいになっているやつは「煙管ボイラー」そのものであり、あそこで水を蒸気に変えて、その蒸気の推進力で車輪を回して前に進んでいく。つまり「移動式煙管ボイラー」、それが蒸気機関車だ。これはボイラー的にはめちゃくちゃかっこいい。ちょっとボイラーを勉強してみると、蒸気機関車がいかにかっこ良くイノベーティブでぶっ飛んだ発想だったかがわかる。ボイラーそのまま移動させるとか、超かっこいい。
勉強中、何度も見たYouTubeのボイラー講座の下記の映像でも、蒸気機関車の断面図とかが出てくる。拍手したくなる。
あと、蒸気船。いわゆる「黒船」。あれも超巨大ボイラーだ。坂本龍馬が萌えまくったのも今では理解できる。
発電所なんかも、火力だの原子力だの言っているが、仕組みとしては「どんなエネルギーでいかに水を沸かして蒸気に変換してタービンを回すか」なので、要するにボイラーだ。エネルギーを変換する、そのための基本機構である蒸気を発生させるのがボイラー道ということになる。
ゆえに、ボイラー道においては、折に触れて、エネルギーの効率的な活用とか、「余ったエネルギーを逃がさない」みたいな工夫がなされていて、ボイラーの勉強をすることで、産業革命以来培われた知恵というものに触れることができる。
ボイラーで出た排ガスの熱で、蒸気にするための水を予熱するという「エコノマイザ」という仕組みがあるのだが、この仕組みから漂う「エネルギーに対する貪欲な姿勢」みたいなものは感動的ですらある。
人間が活動の中で培ってきた工夫と知恵の積み重ねで、各々の領域にこういった小さい文化がたくさん存在している。これは人間の活動の美しい痕跡だと思うし、触れているだけでも幸せになる。
太宰治が「正義と微笑」で書いていた有名な名言が思い出される。ボイラーという、全然興味がなくて、自分と関係のない領域でも、勉強してみると、いつの間にかカルチべートされていく感じがする。
テレビをつければ、NHK以外の民放はタレントの不倫の話ばかり垂れ流していて、それに留まらず、そのタレントの私的なラブレターまで晒して袋叩きにしている。そんなもの学校のいじめと何が違うのだと思うし、それを許容して笑っている大人たちの姿を子供らに見せてはいけないと思う。日本はいつの間にやら、人間としてやってはいけない類のことを堂々と公共の電波に垂れ流すことが許された、下卑で貧しい国になってしまった。
これで袋叩きにした対象が自死でもしようものなら、それを伝えるニュースの最後に神妙な顔つきで「いのちの電話」のテロップを出すのだろう。いったい何の冗談なのか。
なんでそんなことになるのかというと、それを見て喜び、いじめに参加して時間を潰す人たちがたくさんいるからだ。みんな暇だし、鬱屈しているのだ。
暇で、突破口がないのであれば、自分と関係のないタレントを袋叩きにするエネルギーを、ボイラーでもなんでも、興味のないことでも関係のないことでも良いから勉強に向けるべきだと思う。ボイラー勉強していると、熱効率のことを考えてしまって、無駄なエネルギーを逃したくなくなってくる。
そんなわけで、二級ボイラー技士の試験勉強をした。1日10分、教科書を読み、用語を覚える、というプロセスを2冊のテキストを使って通しでやった。その後、記憶が定着していないところを何回か復習して定着させる。この段階で、全体の考え方のノリを掴む。そのプロセスがだいたい3ヶ月くらい。2冊の教科書は下記。
あとは、時間が無いときは動画も見た。「二級ボイラー」で検索するといろいろ出てくる。
川重冷熱チャンネルのボイラー講座は、構造がミソジニー感あるし、いろいろ突っ込みどころがあるが、実機や図版を使って説明してくれるのでわりと有用だった。
3月くらいになってからはひたすら過去問をやって、出やすい問題や、数値的に丸暗記すべきポイントなどを押さえていく。
そんなこんなで、学習プロセスは適当に端折ったが、4月に千葉県の市原市で試験を受けて、無事一発合格することができた(その後、速攻合格証明書を紛失して、数日前に再申請した。)。
しかし、私はまだ、試験に受かったと言っても二級ボイラー技士を名乗ることはできない。二級ボイラー技士の免許を取得するためには3日間のボイラー実習の受講が必要だからだ。
その実習に参加するために、私は昨日から旭川にやって来ている。
なぜ旭川まで来なくてはならなかったのか。
その話は明日に先送りしつつ、明日はいよいよ実習を受けることになる。自慢ではないが、上記でいろいろ書いてみたものの、私は本物のボイラーをロクに見たことすらない。明日はきっと、いよいよ初めて本物のボイラーを触ることになるはずだ。