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6/7-6/12 ブラインドタッチ練習用日記

6/7


相変わらず調子は悪い。週末にちゃんと休んでリセットしたのか、と思いきや、先週始まった全体的な不調が続いている感じがする。とはいえ、先週後半に手が動かなくなってしまった作業や連絡には着手できているので、多少なり良くはなっているのだろう。この調子の悪さは何なんだろうなあと思ったが、実は毎年このくらいの時期にこんなような状態になっているような気がしていて、少年期からの状況証拠を集めて考えると、要するに私は夏というものが嫌いで、夏のトバ口に入ると憂鬱になって身体が動かなくなってしまうような気がする。冬季うつという言葉はあるので、夏季うつという言葉はあるんだろうかと思って調べたら、確かにそういう概念はあった。

昨日は下の子供達を連れて、自由の女神に行ってきた。何年ぶりかわからないが、自由の女神というのは観光地としては実に味わいのない場所で、船で島に上陸して緑色の巨像を見て、「ああ、これ自由の女神だなあ」と思う以上にやることは特に無いので、着いて自由の女神に向き合って、それから島を離れる船を待つまでの時間、わりと手持ち無沙汰になる。

手持ち無沙汰な間、カフェテリアで昼飯でも食べようか、ということになるのだが、前回自由の女神というか自由の女神が設置されているこのリバティーアイランドに来た際の記憶としてあったのが、「カフェテリアの店員さんのやる気が壊滅的だった」というもので、記憶に残るくらいなのでよほど壊滅的だったのだろう。今回も、このカフェテリアでパニーニなんかを頼んで食べようとしたのだが、果たして、今回も店員さんのやる気が壊滅的だった。注文は全部聞かないで遮ってどこかに行ってしまうし、その後に追加で注文をすると嫌な顔をされる。このアメリカという国においてこんなようなことは何も珍しいことではないのだが、なんでこのリバティーアイランドのカフェテリアがことさらひどく感じてしまうのかというと、圧倒的な他の選択肢のなさなのではないかと思う。

リバティーアイランドは狭い島だ。一度上陸すると帰りの船が到着するまで出ることはできない。そしてそこではそのカフェテリア以外に、食事処の選択肢はない。お客さんは定期的に一定量運ばれてくる。なにせ世界有数の観光地ではある。お客さんは涸渇しない。つまり、自由の女神のある島での食事処としては、このカフェテリアは一切の競争にさらされていないことになり、普段サービスを提供する中でそのクオリティを向上させる理由も必要もないのだ。そう考えると、有名観光地のそばにある食堂、というのはいろんなものの狭間に存在するもので、基本的にはその土地のメインコンテンツとしての自負を獲得するにはいろいろな工夫が必要な立ち位置ではあるし、テーマとしても結構面白いのかもしれない、と思った。こういう、やる気のない自由の女神のカフェテリアもあれば、伊勢神宮の門前町から生まれた赤福みたいなヒット商品もある。


6/8


昨日はBASSDRUMの全体会がある日だったので、今後3ヶ月の展望とか世の中の動きにどう対応していくか、みたいなことをまとめていたらだんだん気持ちがポジティブになってきた。気づけばいつの間にか「この夏秋が勝負だ!」なんていうあまり普段自分が発しなさそうなフレーズをスライドに入れてしまっていて気恥ずかしくもなったが、結局「勝負」という言葉には「誰かを出し抜く」というニュアンスが入るわけで、そういう意味において自分たちの勝負というのは誰かよりも効率よくお金を集めるぞ、ということではなくて、集まっている目的から考えても、「いかにやっていて面白い仕事に出会えるか」という意味における勝負なのだよなあなどと、自分たちの活動の先にある「勝ち」とか「負け」みたいなものと向き合うことになってしまったが、これは夏季うつ気味の自分には良かったのではないかと思う。

あと10日間以上は酒を飲まないことに決めているので、離脱症状なのか、なかなか眠れない。仕方がないので、生まれてはじめて手塚治虫の「ブッダ」を読んでいる。とても面白いのは当然のことで、やはり何かコンテンツを摂取する際にいわゆる世の中で「名作」とされているものは外れを引きにくいので効率が良い。普段から、いろんなコンテンツに雑食的に手を出してしまうが、評価が定まっていない段階のものはたまに、変な臭みを持っていたり、味が平板だったりということも多い。もうこれは古典を摂取することにこだわったほうが QOLが上がっていくのかもしれない。

何はともあれ、まとめていたら、この夏も真面目にいろいろとやらなくてはならないことがわかったというか、真面目に物事に取り組む理由があることがわかった。私たちは受注ビジネスを前提として働いていて、どうしても隣の芝は青く見えるのと受注には受注なりの効率の悪さがあるので、脱受注を旗印に掲げがちだが、受注ではないビジネスというのは当然別の種類のリスクを正面から引き受けてこそ成り立つものではあるし、受注で多くの仕事を引き受けていく職人として、あるいは頼りになるコンサルタントとして世の中に必要とされている部分はあるので、受注ビジネスというものともっとしっかり向き合わないといけないなあと思った。


6/9


日本のお仕事をやっていると必然的に朝と夜は日本語でコミュニケーションして、英語で打ち合わせしたりやり取りしたりするのは日中ということになるが、昨日はあんまり心の準備ができていない状態で深夜帯に英語でいろんな說明をする感じになってしまって面食らってしまったというか、結構言葉遣いをはじめとしてキョドってしまった感じがする。

「今日は、尊敬するあなた方にプレゼンテーションできて、自分にとって記念すべき日です」みたいなことを言おうとしたのだが、この「記念すべき日」みたいなニュアンスを"memorable day"とか"phenomenal day"とか言っておけばよかったものを"commemorational day"なんて言ってしまった。 直訳すると「記念日」で合っているのだが、このcommemorationalという言葉はちょっと、「死者を追悼する・記念する」みたいなニュアンスが入っているので、相手方から「私たちまだ死んでないよ笑」なんて言われてしまった。

どのみち、いちいち考え込んでいたら外国語なんてしゃべれないので、それしか出てこなかったわけでしょうがないのだが、外国人なりにたまにそういう「珍訳」をやらかしてしまうことがある。次男が赤ちゃんだった頃、彼の肛門の近くにおできができてしまって医者に連れて行ったことがあって、症状を說明しなくてはいけなかったのだが、通常こういうケースで「肛門」と言いたい場合、”bottom”という言葉を使うのが適切であろうところ、言葉が出てこなくって、"There is an infection around his ass hole."=「彼のケツの穴のまわりには炎症がある」という、極めて汚いというか、ガンズ・アンド・ローゼズ感のある刺激的な表現を使ってしまったので医者を爆笑させてしまったことがある。これだからメタル・ハードロック育ちは困ってしまう。パンテラの曲に登場していた単語とかが優先的に頭にインストールされてしまっている。

それなりの期間アメリカに住んでいても、どうしてもこういうおもしろ英語を使ってしまうわけなので、デーブ・スペクターとか、もともとPARTYで一緒に働いていたマシューさんとか、日本語をほとんど間違えずに使える外国人の方々って、本当に半端ない努力をしているんだなあと思って尊敬してしまう。

こうしてちょこちょこ英文をブラインドタッチで打ってみると、やはりというべきか、あんまり慣れていなくて遅くなる。日本語のタイピングしていると「L」とかってあんまり使うことがないが、英文だとそれなりに出てくる。言葉によってブラインドタッチの手癖も変わってくる。

朝はBASSDRUMのclubhouse配信の最終回があったが、どうしても起きられなくって欠席してしまった。次回以降はYoutubeなどに場所を戻して発信をしていこうかということになっている。


6/10


打ち合わせが多くて辟易してしまうが、いろいろな方々に相手にして頂いている証左でもあるので、酒も飲めないし食事も制限していたりしてなかなか自分の逃しどころがない中ではありつつどうにかやっていくしかない。今日は早朝から日本とのミーティングがあったので早起きが必要だったのだが、ミーティングぎりぎりに起きると朝食を食えなかったりして落ち込むので、そのぶんを見越してさらにもう少し早く起きる。プロテインシリアルとくるみパンを食った。朝から500kcalくらい食ってしまった。

3月くらいから、ダイエットの手法を、カロリーを細かくレコーディングするという方法に切り替えていて、そこから10kg近く痩せることに成功している。去年の11月から今年の2月くらいまでが長い停滞期で、体脂肪率は減ったがなかなか体重が減らない時期だったところ、いろんなダイエット系YouTuberの体験を参考にしたりしてやりかたを変えてみたらうまくいったのだ。

ダイエットの方法というのはいろいろあるが、リバウンドしない、健康な痩せ方をするぞ! という場合おしなべてみんな言うのが、糖質制限みたいな極端なやり方とは違って、カロリー計算をちゃんとやって、基礎代謝よりも摂取カロリーを減らせば何やっててもやせますよ、というような話だ。

20kg以上のダイエットをかれこれ3回成功させている、ある種ダイエッターとしてはセミプロの領域に入ろうとしている私としても、いろいろやってみた結論としては、結局のところ摂取カロリーというものから目を背けてはならない、ということだ。で、実際今回もそれによって結果が出ている。多くのダイエッターがそうしているように私も「あすけん」にすべての食事を記録して、毎日の摂取カロリーが1600kcalを超えないようにしている。

しかしこういう生活になるとどうしても普段の生活が、「カロリーの奴隷」みたいな感じになっていってしまって辛い。あらゆる食い物のカロリーを気にするようになるのは悪いことではないのかもしれないが、一方で、経済的成長が絶対の前提になっている資本主義下の企業みたいに、数字だけを大事にしてしまって、本来の食文化の素晴らしさというものが二次的になってしまう。

一昨日、長男が2回めのワクチン(ファイザーのやつ)を接種したのだが、2日経っても熱が下がらなくって、やはり若い人は副反応が強め、という話は正しいのかなあと思った。私も妻も、熱は出たが1日で治ったので、少し心配ではある。本人は学校休めて嬉しそうではある。

6/11


書いていたとおり、昨日は朝からカロリーを摂りすぎたゆえに、夕食の時点で残り摂取可能カロリーが100kcalくらいになることが昼食終了時で確定していた。100kcalって言ったらもう全然、ちょっとなにか食ったらおしまい、というカロリー量なわけで、嫌だなあ、腹が減ったなあと思っていた。

ところで、2ヶ月くらい前にその存在を知って私の生活を変えてくれたのがWalden Farmのカロリーフリーシリーズだ。どういうからくりかわからないが、このWalden Farmというメーカーは、カロリーがゼロのドレッシングやバーベキューソース、シロップやジャムのようなものまでいろいろなバリエーションの製品を開発していて、アメリカでダイエッターをやるんならもっと早くに知っておくべきだったとしか言いようがなく、しかし出会ってからの2ヶ月というもの、ヘビーユーザーとなっている。

昨日、私が夕食に100kcal程度しか食べられないことをぼやいていたところ、妻が、このWalden Farmのジャムやシロップを使ってシャーベットをつくったらどうかと言ってきた。ジャムなどでシャーベットをつくれるなどという発想がなかったが、調べてみたら結構つくっている人がいる。もしWalden Farmのジャムやシロップでそこそこおいしい氷菓ができてしまうなら、極めて低カロリーで何かを食った気になるような何かをつくることができるということになる。

そんなわけで、ジャムと水だけだとさすがにおいしくならない感じもあったので、Walden Farmのジャムと、これも同じくアメリカンダイエッターの強い味方であるアーモンドミルク(普通のミルクよりカロリーがめちゃ低い)を泡立て器で混ぜてジップロックのコンテナに入れて凍らせてみた。

夕食時になって凍ったシャーベットを試食してみた。これは革命だった。普通にうまい。さすがに栄養は摂ったほうが良いのでこればっかり食うわけには行かないが、これだけ食って暮らしてくれと言われても無理ではない程度においしいものだ。結構お腹いっぱい食っても30kcalくらいで済んでしまう。

結果、無事夕食も摂取カロリーを抑えて凌ぐことができて、今朝の計量ではコロナ感染して体重が減りはじめて以来の最低体重を記録できた。今日の体重は大きく意味があって、たぶんこれで、18年前に妻と出会った際の体重に、18年の長い歳月を経て戻すということに成功したということでもある。妻と出会った瞬間から太り始めたので、これは本当に18年ぶりだ。そしてここから先は未体験ゾーンに入っていく。何しろ物心がついてから標準体重になったことがないのだ。

6/12


昨日の朝、長男がファイザーのワクチンの二回目を打ったのは月曜日だったにもかかわらず、まだ熱を出していて調子も悪そうにしていたので、さすがに副反応長すぎるだろうということで予約をとって近所の病院に行ってきた。ティーンエイジャーがワクチンを打った後に心筋炎を発症するケースが増えているというのがニュースになっていて、症状も近いのかなという感じがあったので心配だったが、いろいろ調べてもらった感じ大丈夫そうだった。

問診的にいろいろ先生から聞かれたが、私と長男は普段日本語でしか話さないので、ここしばらくで初めて、長男がまともに英語で他の人と話しているのを聞いた。そもそも朴訥な感じなのは彼のパーソナリティではあるが、いつの間にか大人っぽい英語をちゃんと話すようになっていてとても驚いた。

その後は調子も良くなってきたようだったが、今朝になって熱もかなり下がっていたようだったのでホッとした。

昨日書いた低カロリーシャーベットを結構な量食ったが、普通に凍らせるだけだと、すごく固くてつらい。美味しいシャーベットをつくるためにはちょこちょこ、氷掛けたくらいのタイミングで混ぜて空気を入れたりとか、わりと不断の努力が必要らしい。なんかよく、売店とかでシャバシャバの評価を供するときに使われてそうなあの、ずっと氷菓をぐるぐる回し続ける機械、あれを買うとよいのだろうか。

部屋の掃除をしていたら、2年くらい前に依頼されて寄稿した、生まれてはじめての小説が掲載された冊子を見つけた。この小説は本当にひどくて、言ってみれば「インターネットエログロSF短編」みたいなものだったので、嫌な人いそうだしあんまりnoteとかで公開するのもなあと思っていたが、改めて読み返してみると結構面白くて、下品だけどもしかしたら公開しても良いかなあと思ったので、近々公開しようかなあと思ったりもするが、何しろ下品な小説なので、こんなの公開して気持ち悪がられるのが怖い。とも思ったが、私は普段から特に気持ち良いと思われている人ではないのであまり問題がない感じがする。

今日はどうも日課がうまく進まない。朝から中国語やらピアノやらをやっていても、遠慮なく子どもたちがいろんなリクエストを入れてくる。やはり早起きして子どもたちが起きる前にやったほうが良いのかもしれない。

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