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0117「コンピュータ・ゴッド」

依然として体調は悪いが、朝から、年末から続いている自宅絡みの問題の解決のために弁護士事務所に行く。渡米初期は、弁護士との会話とかわけわかんなくて泣くしかなかったが、気づけばわりと普通にこなしているので人間ってすごいなあと思う。

人にウィルスを伝染したくないのだが、今週中に終わらせなくてはいけない案件のハードウェア連動部分だけ完成させないと不安だったので、出社してブレッドボードで仮組みして回路を確認して、わりと難易度高めの半田づけ作業をやって、運良く一発で動作させた。私は手先が不器用過ぎて基本的に半田づけは鬼門というか嫌いなので、うまくいってよかった。いつもそうだけど、物理的な機構がつながると、気分が上がる。基盤と繋がったら変になったプログラムを直して帰る。

思えば、この時代に生まれて本当に良かったと思う。こないだ嫁に、「江戸時代に生まれたら、士農工商どれが良かった?」と言われた。何でそんなことを聞いたのかわからないが、ちょっと考えて答えに詰まってしまった。私がいま仕事にしているのは恐らく「工」の分野なので、「工」と言いたいところなのだが、江戸時代の「工」って言ったら手先を使って何か作る人なわけで、前述の通り私は恐ろしく手先が不器用なので、それは無理だ。
「農」もあやしい。観葉植物すらまともに育てきったことがない。「士」は、つまらないので嫌だ。となると、消去法で「商」しかないということになる。

そんな、江戸時代だったら手先が不器用でどうにもならない人間でも、21世紀にどうにかこうにか「工」のジャンルで仕事できているのは、もうこれは100%コンピュータのおかげで、コンピュータという箱の中でものを「つくる」という行為が成立するようになるという大きな変化があったからこそ私は「つくる」ことで食っていけている。

私が大学四年生くらいでデザイン事務所に入ったタイミングは、印刷物が完全データ入稿に移行する前夜くらいのタイミングだったので、まだまだ手作業がたくさんあった。そういう意味では完全にクソバイトだったと思う。

デザインするにしてもプログラム書くにしても、コンピュータの箱の中でできるとなると、もはや手先の器用さはあまり関係ない。コンピュータの中で01の羅列をいじくることを「つくる」と言って良いのか。たぶん良いんだろうけど、私はこの時代の変化によって救われたのだと言える。

そう考えると、江戸時代にも私みたいな人はたくさんいたのではなかろうか。とてもなにかをつくりたいのだけど、「工」になりたいし、頭ではつくりたいものが思い描けているんだけど、手先が不器用だからそっちに行けない。行く権利がない。

1998年ごろに初めて、イラレとかフォトショップとかをいじり始めて、「おお! これなら自分でもできるぞ!」とか思ったものだし、思えばかなり救いだった。

しかしだからといって、大工さんはいなくならないし、私も今日みたいに唸りながら半田づけしなければいけないことがある。つまりコンピュータというものが現れたことで明らかに「工」に該当する産業は増えているし、需要もある。ちょうどドラクエビルダーズ2をやっているので思うのだが、「つくる」を増やすということは神的な事象で、すなわちコンピュータというのは私たちにとって神なのではないか、とか思いつつ、体調は悪い。

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