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0925「鮫洲」

日本に来た。こないだまでいたので、この頻度だと、「すげえ! 日本人しかいない!」とか「道幅小さ!」とかそういう驚きもない。というか、もうかなり屈託なくカジュアルに東京とニューヨークを行ったり来たりしているので、肌感覚的には東京とニューヨークの距離感は自分の中で東京と八王子くらいの距離感になっていて、それはつまり、「ニューヨーク行こう」というエネルギーと「八王子行こう」というエネルギーがそんなに変わらないことを意味する。

こうなると、むしろニューヨークより、自分にとって心理的距離が遠い場所の方が遠いというややこしいことになる。

たとえば「鮫洲」だ。鮫洲と言ったら東京民にとっては免許を更新するところだ。私は東京では結構違反を切られがちなドライバーだった。アメリカで免許を取ってからは一度も違反を取られたことはないのだが、東京では毎回免許の更新と免許の更新の間に違反を切られてきた。

更新の時に違反を切られていると、何が起こるかというと、講習と称して、酒飲んで車を運転して人轢いて悲惨な反省の日々を送って、幸せだった家族も崩壊したりして、言いたいことはわかるけどまあ落ち込むほかないビデオを見せられることになる。あれは辛い。まんまと落ち込んでしまう。

で、結果的に「鮫洲」という街のイメージが、そういうどんよりとした暗いイメージになってしまう。いつも、免許の更新の時期になるとどんよりと憂鬱な気分になり、鮫洲に向かうモチベーションが減退し、足取りも重くなる。鮫洲に行きたくない。鮫洲に行くのは嫌だ。

こうなると私と鮫洲の距離はどんどん遠くなる。八王子の方が近い。そうすると、自分にとって鮫洲という街はニューヨークよりも遠い場所、ということになる。例えてみるならどこらへんかというと。東京から鮫洲までの距離は、東京からブータン王国くらいの遠さだと思う。鮫洲に免許を更新に行くくらいなら、ニューヨークで免許を更新したい。

そして免許を更新しなくてはいけないある年、私は結局鮫洲に行かなかった。更新の案内は来ていたのかも知れなかったが、私は見て見ぬ振りをしたのだと思う。いつの間にか、免許が失効して、失効後の特別期間も過ぎ、また教習所に行かないと免許を取れない人になってしまった。

これは面倒くさい。

しかし結果として、鮫洲より近いニューヨークに移住して、ニューヨーク州の免許を取った。ニューヨーク州はアメリカの中でも免許の試験が厳しい州ではあるらしいが、そこはアメリカということか、教習所とか行かないで取れた。今はニューヨーク州の免許をベースに国際免許を発行してもらえば日本でも乗れるし、ちゃんと手続きすればそれで日本の免許を交付してもらうことも可能だ。

そうなっちゃうともう、ニューヨークが鮫洲より近いことは否定しようもない。そしてニュージャージーは青物横丁よりも近いのだ。

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