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0923「死ぬほど健康になりたい」

この週末、書いたように運転をしたりして頭の整理をする時間をとって、ふと気づいたことがあって、それはどういうことかというと、「自分には大して欲しい物がない」ということだ。非常に基本的な前提として、私にはかなり幸福な家庭があって、仲良くやっている。もちろん家庭を持つことだけが正しいなどとは思っていないしそれ以外の選択肢も間違いなくあると思うが、家庭を持つことを選択した人としてはこれ以上無いくらい良い状況にあるとも言えるだろう。

その上で、ほどよく、読みたい本や見たい映像、何より聴きたい音楽が周辺にある。すべて贅沢品だ。しかしたとえば自分が中高生の頃などは、新しい音楽を聴くためにお小遣いから一生懸命捻出して新しいコンテンツを入手していたものだが、今では大概の音楽をサブスクリプションで聴くことができ、好きな本を購入して積んでおくこともできる程度の財力もある。

10日前くらい、発表されたときにはdisってしまったが、結局仕事上の要請もあるので、新しいiPhoneを入手した。買ってみたら処理速度はすごく速いし、ケースに入れてしまえば三眼のカメラのあれもそんなに気にならない。時計もイヤホンも、いろんなインフラがApple製品にやられてしまっている中で、まあ結局iPhoneということになる。

時にすごく忙しくなってしまったりして頭が混濁するが、そもそも好きな仕事を好きなようにできている。好きなことをやっているという最低限の前提があるから、手を抜くこともまあないし、一生懸命やることになるので結果的に楽しいということにはなる。会社経営するのとかすごい大変だが、まあそれ以上に楽しいのであまり問題はない。

たまに家族で旅行に出かけることもできる。もっとお金があれば、もっと良いものを食うことはできるだろうし、もっと良いホテルに泊まれたりできるかもしれないが、そういうものがどんなもんなのか予測がつく程度には資本主義のルールみたいなものにも慣れてきた。

飛行機に乗るときにはビジネスクラスに乗りたいし、一度で良いからファーストクラスに乗ってみたいとも思うが、それらの体験が、センター街の漫画喫茶の大きめのブースで眠るのと大して変わらないだろうということもわかっている。のでまあ、別にそんなに無理してビジネスクラスに乗る必要もない(実際そんな余裕がない)。明日もエコノミークラスに乗る。

自分で自動車を所有して自由に運転していろんなところに行ってみたいとも思うが、まあどこか行きたい時に借りれば良いかとも思う。高そうな質の良い車とか持ったら楽しいんだろうけど、まあそれを運転していくところなんて日本だったら厚木健康センターとかだろうし、ニューヨークだったらニュージャージーの韓国サウナなので、借りれば良いし、あるいは安い車で良いはずだ。

服装にこだわったことは43年生きてきて一度もない。黒系の服かサガミオリジナルのTシャツならなんでもいい。ので、「あの服が欲しい!」とか思ったことが一度もない。

東京とニューヨークに住むところがあって、どちらもまあまあ良い家だ。東京には実家もある(私は実家アレルギーなので行くとかゆくなるのだが、それは仕方がない)。

あと、細かいところで、Evernoteを課金できたらいろんな端末で使えるから良いけどお金ないしな、とか個人のドメインをGSuiteで運用できたら良いんだけどお金ないしな、みたいのはあるが、まあお金ないんだからしょうがない。

この週末に2ヶ月の東京生活も含めていろんなインプットを得てぐっちゃぐちゃに散らかった脳内を整理して、やっと全貌が見えてきたが、自分の現在の状況は、どう見ても「何も問題がない」状態だろうし、ずっと「あー」だの「うー」だの文句を言っていた自覚があるが、何も文句を言う必要がないとしか言いようがない。自分は一体何が不満であり問題だったのか。「何か問題あるのか?」と自分に問うてみても、実際何も問題がない。

つまり、この数十年というもの、ずっとバタバタしてイライラして「あー」だの「うー」だの言ってきたので、いつのまにか特に問題がない状態になってしまっていたのに、慣性で「あー」だの「うー」だの言っていたということらしい。

実際そういう怨念とかフラストレーションをエネルギーにして仕事にしてきた部分もあるのだろうが、それは逆に、そろそろポジティブなエネルギーで仕事していかないとつくり手として枯れちゃうだろうということでもあるので、悪いことではないだろう。

こうなるともはやあとは健康だ。血液がサラサラになって、動くのが楽になってくれば、きっと私は次のフェーズに行ける。

死ぬほど健康になりたい。健康になって死にたい。

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