見出し画像

0722「感情のプロフェッショナル」

一昨日いろいろ思った串カツ田中の素晴らしさの件は、今日も時間がないので書かない。やはり東京に来ると余裕が結構なくて、1人での出張だったら朝起きて眠気覚ましに適当なことを書けばよいが、家族がいると朝の時間くらいしか子供と遊ぶこともできないので、この文章を書くのは必然的に遅い時間になる。そういうリズムになる。

これはこの国にどういう魔物が住んでいるのかよくわからないが、日本で働いていると、とにかく仕事が終わらない。アメリカだと普通に5時台とかで家に帰ったりするのに(夜に日本との会議があるのでどうせ仕事はするのだが)、日本だと、8時とか9時で帰れる気があまりしない程度に終わらない。これで現場や実装の仕事が入っているともっと全然終わらない。どこかで科学的に何がこういう状態を招いているのかを解析すると良いのかもしれない。

何はともあれ、つまり、子供が寝る前にはまあまあ帰れない。日本にやってくると、日本の労働者になるものだなと思う。

今日もあんまり書くことがないが、昨日、相撲方向に暴走したことを書いたら、思ったとおり♡がすごい少なかったので、相撲の話はやめようと思う。

日本にいるので、吉本のゴタゴタのニュースが目に入って、別にそれそのものには言うことも何もないが、「あーそうだなあ」と思ったのは、「芸人は笑わせるのが商売なのに、あんな会見させちゃったらその後その人達を見ても笑えないじゃないか」という論からの「あんな会見させたら芸人として終わっちゃう」的な話だ。確かにそれはそうかもしれなくって、今後、会見していた芸人さんたちが面白いことを言っているのを見ても、たしかに、この会見のことを思い出してしまって素直に笑えないかもしれない。つまり、笑いを生業にする人にとって、笑いと反対の、深刻で悲しい感情表現というのは瑕疵になってしまう可能性がある。

これはたぶん逆の話でもあって、この芸人さんが記者会見しているときに、「この人はいつもお笑いをやっているから、深刻に記者会見していてもネタのように見えてしまう」という意見を見た。

うちの親族の葬祭を司ってくれているお坊さん(浄土真宗)は、年が近い上に浄土真宗なので髪も生えているし、しかもその上で元役者で超イケメンという珍しい人で、役者だけにお経を読む声が腹から出していて超かっこよくて、とても良いお坊さんだが、酒を飲ませると結構がっつり酩酊するタイプなので、法事の後に「人の縁と言うものは・・・・」とかありがたい話をしんみりしてもらうときに、わりと酩酊して明るくなってしまっている彼のことを思い出して気が散ってしまう感じというのがあり、結局どういうことかというと、芸人とかお坊さんとか「感情」に結びついた職業をやっている人にとって、職業から離れた感情というのはプロフェッショナルであろうとするときに、傷にすらなってしまうのだなということだ(うちのお坊さんについては別に傷だとは思っていないが)。

だからお笑い芸人の事務所、あるいはタレントのマネージャーさんというのは、そういう「感情のマネジメント」というのも仕事になってくるのだな、というのを一連のいろいろから知ることができて、それは大変な仕事だなと思うと同時に、私みたいなアレキシサイミア野郎からすると、感情のプロフェッショナルって、すごい職業だなと思う。いつもは見えない芸人さんの苦労というものを見た感じがして、尊敬が深まった。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!