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柔軟剤の恐ろしさと、今世のままならなさ、について

最近、会社の屋上とか伊豆とか、いろんなところで焚き火してたので、ジャケットから焚き火の臭いがしていた。

昨日か一昨日に、妻がなんかの石鹸(「SHIROのサボン」なるものらしい)みたいなもので丁寧に洗濯してくれて、ジャケットがめちゃくちゃ良い匂いになった。語弊を恐れず男子校的なことを言うと「女の子の部屋の匂い」がするようになった。

これは超いい。まさか自分からこんな匂いがするなんて。

ので、妻にその喜びと感謝を伝えつつ、出先でずっと匂いを嗅いでいた。

それを聞いた妻が言っていた仮説が面白かった。

ある程度の先進国の国民は、洗濯するときに柔軟剤を使う。で、柔軟剤を使うと、匂いが強いので、人間本来が持っている匂いというものを上書きしてしまう。

動物は、パートナーを見つけるとき、いわゆるフェロモンみたいなそういう個体特有の「匂い」を検知して、子作りの相手を見つけてきた。ただ、柔軟剤を使うと、そういう個体特有の匂いがつくられた「良い匂い」でテンプレ化してしまう。

ゆえに、柔軟剤のようなものを使っている人間社会では、自分が結ばれるべきパートナーを検知しづらくなる。だから、先進国ではおしなべて少子化が起こるのではないか。

それによって最終的に柔軟剤が人類を滅ぼすのではないか。

妻は、ジャケットが良い匂いになって盛り上がっている私にそんなことを言った。

妻は柔軟剤を使わない。香水みたいなものも使うのも見たことがない。彼女は以前は看護師として働いていたのだが、看護師たるもの匂いは仕事の邪魔になる、という考え方だったように思う。

それはさておき、世の中には、柔軟剤みたいな、テンプレ的に人をバグらせる人工的な刺激装置が結構あって、人はそれによってテンプレ的に喜びを感じたり、興奮したりする。

めっちゃ手間をかけた純米大吟醸を楽しむよりも、酒としての機能性を得るためにストロングゼロを呷る、みたいなことかもしれない。

愛とか苦しみとかの表現が委託された音楽よりも、AIが生成したミューザックが売れる、みたいなことかもしれない。

経済の最適化の結果、豊かさの象徴として柔軟剤が流通して、人間の活動は物心両面でテンプレ化する、つまり、貧しくなる。

先進国では、貧しい人ほど肥満傾向にある、みたいな話もそれに近いのかもしれない。

そんなふうに考えると、我々が選択している社会って、アポトーシスが暴走してるような状態なのではないか。「成長」が「破壊」と地続きになっている。

私たちは、破壊まっしぐら、テンプレまっしぐらで突き進んできた先達の轍を通りながら、ものを「つくって」いる。しかし、それは本当に「つくって」いるのか。

私たちがつくっているのは柔軟剤なのではないか。そして私たちは柔軟剤をつくりたいのか。これで良いのんか。いつも「つくりたい」とか言ってるけど、いったい何を?

などと、良い匂いがするジャケットを着て焚き火しながら思いました。一方で、私たちは、柔軟剤に満ちた世界で柔軟剤ではない匂いに接すると、盛大にバグることも最近知ったし、この世は苦界だな、と思いますよ。ままならねえ。

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