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0223「コンセプトは凡人の方便」

さっきまで自分が人に説明していたことが客観的にとてもおもしろかったので、書き記しておく。

心と頭を揺さぶるような作品に対して「もうちょっとコンセプトがしっかりしてると良いかもねー」とか言うのは単純に凡人の僻みなわけであって、作家なり作り手なりをミスリードして潰すためのパワハラに過ぎない。

クールジャパンなのか日本のオタクカルチャーなのかわからないけど、自分が享受してきたカルチャーを別の場所で広げたい、なんていうのはカルチャー始点だとするとクソおこがましい話なのであって、例えば寿司というものは寿司そのものがうまいから寿司というコンテンツとして普及して、それがあったればこそその先にあるカルチャーに対する興味を喚起できるわけで、本来、内界のカルチャーを外界に広げて行くためにはコンテンツ→カルチャーであるべきなわけで、カルチャー→コンテンツみたいなルートは基本的にあり得ない。

それはほとんど、「はじめまして。自分とセックスしてください」と言ってるのと同じであって、成立しない。余程魅力的な相手ならばそれはあり得るのかもしれないが、それはそれでコンテンツが魅力的ということなわけで、やはり、カルチャー→コンテンツというわけではない。

じゃあコンセプトとは何なのかというと、私もコンセプトを盛って生きている凡人なわけだけれど、コンテンツそのもので殴ることができない凡人が、自分ないしは自分の世界を理解してもらうための記号的な方便でしかない。

シュヴァルの理想宮という、フランスの郵便局員が33年掛けて構築したごつい構造物がある。この構造物の写真を見るだけで、誰しもが何かを揺さぶられるというか、共鳴して、気持ちよくなったり気持ち悪くなったりしてしまう。

あるいは、ルイス・ウェインさんという、猫をテーマにしたイラストを描き続けていたイラストレータがやはり統合失調症が進んで、しかし描き続けた猫の絵のやばさに、たぶん多くの人が「ウッ」となる。


統合失調症ばっかりだけど、草間彌生の作品だってそうだし、全然違うけど蓮コラだってそう。飛行機事故の死亡乗客リストもそうだし、アーリントン墓地のアルゴリズミックな墓碑の連続もそうかもしれない。そしてマンデルブロ集合なんかは最たるもので、アートであれ自然の造形物であれ、人間の行動の帰結であれ、そこに人間の根幹にある自然が共鳴することで、気持ちいいとか気持ち悪いとかそういう揺れが生まれる。

畢竟それが正義であり、生物としての人間の本能であるから、コンセプトによってその対象をいくら肉付けしたところで、それはそこに到達できない私も含めた凡人の遠吠えでしかない。

だからコンセプトとか社会との関係性とか文脈とかで物事を測る人間は、アーティストみたいな顔をしていても、実はマーケターであったりする。

マーケターはもちろん尊い職能だと思うけど、アートみたいな課題提示を行うための領域とは全く違うものなので、アートという糖衣でコーティングしたマーケティングみたいなものに、本来のアーティストは振り回されるべきではない。それは自然に対して中指を立てていることでもあるかもしれないし、気持ち良いもの、気持ち悪いものをそのまま描ききるべきだ。

つまり、我々凡人の言うことなど無視して気持ちよさ・気持ち悪さをTangibleなものとして感じることができる人たちは、その宿命としてただ気持ち良さや気持ち悪さを追求すれば良い。その気持ち良さ・気持ち悪さを知覚して転写できる人間に、コンセプトは一切必要ない。

ただ、コンセプトで補助線引いとくと金銭的に儲かることがあるからそれはそれで人間の生存戦略ではあると思う。そのくらいのものだ。

才能がある人間を謎のマウンティングでミスリードする馬鹿のあまりに多いことよ。

凡人のことをバカにしているのでは決してなくて、自分も完全に凡人だから非常によくわかるし、そこで凡人なりにサバイブしている人間は尊ばれるべきなのだけど、凡人が才能を殺しうる社会構造というのは間違いなく世界中のあらゆる場所に偏在している。

才能を前にしたら、それを認めて道を空ければ良いんですよ。年齢とかキャリアとか立場とか関係なく。

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qanta

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