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コンプレックスと付き合う秘密の魔法(エッセイ#5)

コンプレックスというのは、誰でもご存じのとおりやっかい極まりないものである。

私には年の離れた兄がいるのだが、そやつに対して感じることが多々ある。

長年の鬱積を一言にまとめてしまおう。

ヤツに対して「勝った!」と感じれることがほとんどないのだ。

運動にしろ、勉強にしろ、趣味娯楽にしろ、父母からの愛にしろ、人格にしろ。

向こうがどう感じているかは知らないし、周りにどう見えているかもわからないが、私自身はそう思っている。

しかしながら、それが理由で一人悶々するわけでもないし、きつく当たってやろうと思うこともない。

なぜか?

私は先ほど「ほとんどない」と言った。

つまり、「ちょっとはある」のだ。

その「ちょっと」に指一本ですがって生きているのだ。
クリフハンガも真っ青な曲芸である。ボルダリングの大会に出ればスタンディングオベーションで会場が割れるであろう。

SNSは「自己肯定感が低い」だの「承認欲求が満たされたい」だのといった、矛盾しつつもなんかわからなくもないなぁといった投稿であふれている。イイネ欲しさにパンツを見せてみたり、パンツ見たさにイイネを押してみたり。魑魅魍魎の巣窟の中でコンプレックスを抱えながら生き行く人のなんと多いことか。

そんな良心が腐りそうにドロドロとした世界から脱却し、快適な人生を送るために必要な心構えを、今回は一つ特別に無料で教授しようではないか。

①自分が勝っている部分をロジカルに説明する
(例)
<勝っている部分>
私のほうが顔が可愛い。
<理由>
ヤツはレイザーラモンHGに似ていると言われていた。私は松下奈緒だと言われたことがあるぞ。
※勝ち負けは私の主観です。

<勝っている部分>
私のほうが人情味あふれている。
ヤツは淡白なことで有名だ。私も淡白なことで有名だが、父が「Qのほうが紙一重で優しい……」と寂しそうにつぶやいたことがある。

②ことあるごとに意識する
(例)
兄「Qさん、これはああでこうで、そうだから、ふにゃふにゃもにゃもにゃで……というわけやで」
私「はいはい、わかったわかった(はんっ! そんなようわからんこと言うても私の方がカワイイからな!)」

いかがだろう?
明日からすぐに使えるテクニックだ。

過去に私はボカロPをしていて、ボカコレというボカロPにとっての一世一代の大舞台にも参加してきた。

ボカコレ後、思ったような結果がでず鬱のような状態になっているボカロPもたくさん見てきた。

生れ落ちたときから比較比較比較の人生だった私はそういう気分には決してならない。

実に簡単だ。上位の曲を聴いてみる。

「あれ? 自分の曲のほうが100倍ええやん! なんやねんまったく……しょーもな」

これで全ては解決する。

そもそも、自分が好きで作った曲なのだから、人が作った曲に負けるわけがない(君は私の何を知っている?)。絶対的価値観が存在しない芸術分野なのだから当たり前だ。

それでも落ち込んでしまうのであれば、残念ながら「好きで作った」のではないということでしょう。

それこそ「承認欲求を満たすため」という理由で、ボカコレでウケそうな……という意識で美人投票に手を染めたのかもしれない。
それは自分の好みをだますことになるから、人が作った曲のほうが自分に刺さる可能性も無きにしも非ずだ。


そんなこんなで、今日も私は誰かを蔑みながら力強く元気に生きている。

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