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海がきこえるときもある(エッセイ#9)


#わたしと海

さて、今回は海だ。何を書こうか……。

私のエッセイを連続して読んでいただけている方がいるならば、おわかりだろう。おおよそ私のエッセイテーマは、何かの応募を兼ねている(とてもゲス)。

海の想い出はほとんどない。なら書くなと言われそうだが、書いてやろうじゃないか。逆境こそ燃える、スポーツ以外ではあまり役に立ちそうもない精神構造を私は持っているのだ(順風満帆でも凪でも向かい風でも、いつでも実力を出せるほうがいいに決まっている)。

リアルな話。海に行ってもあまりはしゃがないし泳がない。遠くでは兄が素潜りしたり堤防から飛び込んだりしている。男子というのは実に単純な遊びで盛り上がるなぁ、と遠巻きに眺めていた。水面を中心に上下運動してるだけじゃないかと。

そういう自分は日陰で漬物石のようにじっとしている。

そんなこんなで、海に関する思い出はあまりない。あるけど、面白い話でもない。

話を変えよう。

海と言えば「海がきこえる」ではないでしょうかね。

ジブリの映画の中で一番好きと言っても過言ではない(内容は忘れた)。

男同士の友情というかなんというか、あれがこうなってそうなるところとかすごく良かった(内容は忘れた)。

あの映画を見た後は、しばらくの間、土佐弁を真似しちゅうなるゆうがよ(あってるかどうかわからない)。

すみません。

やっぱり無理でした。

これといった海の想い出ありません。

私は逆境でもダメなヤツでした。

苦し紛れに最後に一つだけエピソードを。

キレイな海に家族で遠出したときの話。

兄はいつものように素潜りをしていた。
しばらくすると海面から顔を出して私を呼んだ。
私は何事かと兄のところまで泳いだ。
「ほれ。こんなんおったで」
兄の手に握りしめられたナマコが私の顔前に現れた。
「ぎゃあ!」
突然のことに驚き、兄の手を払いのけた。
キレイな放物線を描いて、ナマコは海に還った。
「……あーあ」
兄は悲しそうだった。
私も恐怖で悲しかった。
ナマコも「結局なんだったんだ?」と悲しかったに違いない。

こういう事態を三方一両損と言うべきではないだろうか。

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