【日記】日野皓正とドゥルーズ『スピノザ』

 日野皓正という、ジャズトランぺッターの音楽を、みのミュージックから知ったので聞いている。マイルス・デイヴィスを規範としているらしく、マイルスがマイルス・イン・ザ・スカイとか、あの辺のを作った時に、ほとんどソックリなサウンドのアルバムを、出していたらしい。みのは、完全に肯定的に語っていたけれども、似せ過ぎている感じも否めない。ただ、あんなふうに曲を作れと言われて、まずそれを実行できることがすごい、とは言えるかもしれない。受容の第一歩は、ああいうことにあるのかもしれないし。
 同時に、振り返るような気持ちで、細野晴臣の曲も、何となく流している。トロピックなサウンド。はらいそ。はらいそは、なぜ記念碑的アルバムとして捉えられているのか。ワールドミュージック的なものを、自覚的に、あるいは半ば咀嚼して、取り込んでアルバムを作ったからだろうか。

『スピノザ』。
 触発された、ただの認識、「第一の認識」と、神の認識、個的なものと本質的なもの、双方を捉えることのできる「第三の認識」、この間にある、「共通概念」の把握である、個物の捉えかたにかかわるところでもある(というのは、抽象的概念という、現実から遊離したものを捉えるのではないものとして、共通概念は定義されているから)、「第二の認識」。ここがキーであるらしい。
 共通概念というものの、「身分」も、各著作でブレがあるというから、この位置を、スピノザは微調整していた。
 属性について振り返る。属性は、人間が認識する、持っている属性は、延長と思惟の二つだ。だが、世の中には、無限の属性がある。
 読んでいる時、赤いものの赤さ、という解釈で、一番一般的な意味から、属性というものをイメージしてみた。ほとんど、決定的に間違うことなく進めたのだが、……

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