【読書録】ディドロ他『百科全書』

 よく聞く、中世のフランスで起こった「百科全書派」という単語。いったい、百科事典のごときものが、一つの派閥を生み出すに足るのだろうか。昔はそうだったのだろうか。今では考えられないが。誰の、どういった全書だったのか。この単語しか聞かず、正体も立ち位置も不明だったため、想像が膨らむばかりだった。
 先日、その当の『百科全書』、本体は長すぎるのだろうか、序論と中心的項目の抜粋が、はるか昔に岩波文庫で出ていたというのを見掛けて、図書館で借りて、今読んでいる。
 もしかしたら、現在想像する百科事典のようなものとは、何かが一味違って、あるいは、当時独特の意味合いを持っているので、それほどの、言及するに足る書物あるいは派閥として登録されているのかもしれない、それが読み取れるだろうかと思っていたのだが、大枠、今ある百科事典と、持っている内容、あるいは理念といったところに差はなかった。
 だいたい、1700年代に立ち上がった企画らしい。ディドロとダランベールという人が、主な著者、編集責任者のようなものなのだろう、として名を連ねている。もちろん、その人々だけで書けるものではないだろうから、各ジャンルの専門家が、しかもその弟子数名を携え、書いたものでもあろう。要するに、今ある辞書・事典と作成方法は変わらないのである。白川静が、一人で書いたという、「字通」等の字典の方が、よほど独特である。
 では、この百科全書が、こういう書物の嚆矢だったのでもあろうか。どうやらそうではないらしい。「序論」の中盤に、これと似た、イギリスの百科全書があり、それを増補するように、本書は構成されたと言っている。イギリスの著者はここが足りない、などと書き連ねているが、それはフランス側の言い分であり、有名な話だが、イギリスとフランスの長い対立関係が、ここでも一端を覗かせていると思えば、何らここで独特なことは起きていないように思える。
 それのみか、サロン内部の内輪での盛り上がり感も、感じないではない。ディドロが、作曲家兼音楽理論家のラモーという人を、最高の音楽家として名を挙げているのだが、聞いてみると、ベタベタなバロック音楽の作家だったらしく、ウィキペディアで引いてみれば、ディドロとやたらつるんで、一緒に曲作りをしていたらしい。
 こんな譬えはさすがに気が引けないでもないが、ニコニコ動画周辺の文化において、合言葉みたいに謎の言葉をたくさん作り、歌い手が誰それの曲を歌ったのだ、なんとかという現象に、雰囲気はもしかしたら似ていたのではないだろうか。
 そういえば、ニコニコ周辺の文化でも、「ニコニコ大百科」というのがあった。
 結局身内びいきで記事を書いているし、ラモー何某という作曲家がいた時代には、しっかりと、ドイツにはバッハがいたのである。哲学者としてはヘーゲルがいたのだ。
 どこか、他国に後れを取らないようにという、フランスという国自体の焦りみたいのが感じられる。そして、そうだとしたら、純粋に学問的に得るところがあるのかというと、何とも言えない。
 そして、例としてコッソリ出していたのだが、今、現代という時代には、ウィキペディアと、インターネット検索という、知を集約するにはこのうえないツールがあり、日々われわれはこれを利用している。その礎となっていると言えば、言えるのかもしれないが、どこか、それをたどりなおすことに、徒労感を感じる部分もある。
 百科事典は、常に時代を乗り越えよう、今までの知をすべて総合して、もうこれさえあれば大丈夫、決定版であり永久保存版である書物、しかも森羅万象について書いてあるものを、めざして書かれるものだが、それゆえにか、時代の刻印をこれ以上なく感じるのは、どういったわけだろうか。
 ウィキペディアに押されている、現代という時代の刻印とは、奈辺にあるのだろうか。
(ディドロって、現代日本でいえば、若松英輔みたいな人だったんじゃないかな……終)

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