【読書録】ディドロ他『百科全書』3 フロイトと同じやり方

 1700年代という時代の風を大きく孕んで書かれた、ディドロ=ダランベールの『百科全書』。よくよく調べると、全巻書き切られた頃には発禁だか何かされていて、後半はコッソリ制作されていたらしい。その中の項目のいくつかの抜粋で構成されている、岩波文庫版の『百科全書』を今読み進めている。

 今読んでいるのが、短いけれども「自然状態」の項目。ルソーが社会契約説を提唱する際に利用した考えだ。社会、法律が生まれる前の、人類の状態。それを仮定することで、現在ある社会や法律が必要になった因果関係や、必然性を説明する、といった理解をしている。
 じっさいの自然状態というのは、ルソーはおそらく観察していないだろう。引き合いに出されるのは、先住民族の生活なのだが、当時、そこまで詳しい観察はされていなかっただろう、主には侵略の対象である。しかしそもそも、当時、植民地にされていなかった土地にあった文化というのは、読み書きという文化がなかったとしても、いや、それだからこそ、より洗練された、強い、法文書と同じ機能をするものが、彼らの中を流れていたはずである。
 そのことは、またいつか触れるかもしれない。
 要は、社会や法律が生まれる前という、仮想の「自然状態」というものが当時考案されたが、実はそのようなものは、彼らが考えているよりはるかに前、おそらく数万年という時間を遡っても、存在しなかったと言っていい。そして、彼らが根拠として見出していた(かもしれない)、先住民族の生活についても、その観察を真面目にしていなかったため、あるいは、それを文化として捉えていなかったために、この「自然状態」をバネにした「社会契約」という観念も、いま現在ほどは深化していなかったのだろう、と僕は予想する。画期的ではあったのかもしれないけれども。

 意識をしていたのかどうかはわからないが、これと同じような手順で、構築された思想がある。フロイトの、近親姦による原罪論である。エディプス・コンプレックスの生成方法。「トーテムとタブー」の論旨である。
 類人猿に近い、先史的人類の姿を思い浮かべる。父親というものが、猛威を振るい、全ての女性を自分のものにしている。その子である兄弟たちは、女を手に入れることができない。なので、兄弟全員が揃って団結し、ひとりの父親を殺す。全員が罪を被り、一人一人が、今まで父親のものであった女を共有する。
 そして、その原罪を反復し反省でもするかのように行われるのが、トーテム祭というもの(自分の属している「タカ族」みたいな一族が集まり、その一族を象徴する動物を年一回のペースで火で炙って食べる)の起源である、またこれこそが、近親相姦の禁止を力強く精神的に規定しているルールの起源でもある、と、すごく乱雑にいえばそんな風な論旨だった。
 しかし、ここでも先に出た、「先史的人類」の姿は、そんな風には存在しなかったのではないかと言われている。言われているというか、少し先取りして言えば、実はトーテム祭というもの自体が、そういう漠然とした「罪」感情を構築した原因であり、発明であり、法の発端である、先に「原罪」といったけれども、有名なキリスト教でいう原罪というものも、そのキリスト教の発明である。フロイトが発見したのは、過去のことではなく、現在発生している、発明品の説明になっている、と言えばいいだろうか。
 途中から論理があいまいになっているのは、この分析の元ネタとなった本を読んでもうずいぶん経つからで、その中ではもっとちゃんと、一つ一つ踏まえながら説明している。ともかく、フロイトがそれを利用したのかどうかはわからないが、ここでも同じ方法が使われているのかと、発見した次第であり、やはり、未来永劫利用できるような事典を志していながら、そのとき普遍概念であると目されている何物も、普遍ではないのだなということも思った。

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