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わたしの映画観📽「シン・仮面ライダー」#2

殺陣とビジョンとNHKと

NHK放送のドキュメント番組で流れたショッカーライダー戦のメイキング映像が本編のものと違う、と巷で話題になりましたね。
SNSには番組を視聴した人から「(現場に丸投げする)庵野監督はブラック」「(殺陣をことごとくダメ出しされる)田淵アクション監督が可哀想」などのコメントが出てました。
私は遅ればせながらGW前になってようやくその番組を録画視聴しました。
いやあ、それにしても映画制作の裏側って本当に面白いですね。
人の意見はそれぞれですが、私の見解としては「いやいや、映画の制作現場なんてクリエイターの本気がぶつかる場だもの、あんなもんでしょうよ。コンプライアンス重視の一般企業じゃないんだし」です。

庵野監督は今回絵コンテを用意せずに現場で1カットずつ作ってゆく、という手法をとったそうです。
「自分の思い通りにしたいのならアニメでいい、でもこれは実写だから自分の思い通りじゃない画の方が面白い、なので私からは指示はしません」という旨の庵野監督の言葉。
そこでアクション特撮映画なんだし殺陣は付きものなのでやってもらったら、監督のビジョンとは異なる何か異質なものを捉えてしまったらしく。
田淵アクション監督が抱えるものと庵野監督が目指すビジョンが違ってたのです。番組内では殺陣シーンが同様に見えてたのは決して庵野監督ひとりではなく、助監督やその立場の数人も同じくでした。

「段取りはいらないんですよ」
これは殺陣をなさってる方にはかなりキツい言葉です。
殺陣には段取りが付きものですし、皆さんそこに汗流して努力してるのですから。それを頭ごなしにいらないと言われたらそりゃあムカッときますよ。
ですがちょっと考えてみると、「丁々発止を見せるための動作」と「殺しに行くための動作」は目的がまったく違いますよね。
だって片や「よし、一緒にアクロバティックなことするぞ」で、片や「こいつ殺してやるぞ」ですからね。
そこの意識の差はかなり大きいでしょう。

たとえば映画観で本編上映前に流れる「No More 映画泥棒」で、カメラ男がパトランプ男から逃げますよね。
カメラ男は逃げながらナンチャッテパルクールをこなしますが、現実には泥棒はあんな悠長な逃げ方なんて絶対にしません。
東京渋谷で道玄坂を逃走する泥棒とそれを追いかける警察官を目撃したことありますが、犯人は必死の全速力で走ってたし、警察官も捕り逃がしてなるものかと全力で走ってました。
当然そこに段取りなんて存在しません。
あるのは「捕まるか、逃げ延びるか」だけです。

まったくの余談なのですが、私はTRPGを遊ぶ時いつもアドリブGMでした。
最後の場面だけはあらかじめ決めておいて、シナリオは始まりも途中もすべてプレイヤーに任せて、ただただみんなが動くシナリオを楽しむ、というスタイルです。
そんなマスタリングに当然面食らったプレイヤーもいましたが、あまりの自由度に面白いと言ってくれるプレイヤーもいました。
庵野監督も「ラストシーンだけは撮る前からいつも決めている」と言ってました。
監督と自分を並べて語るのはちょっと畏れ多いですが、どうやら同じタイプだなあと勝手に共感しちゃいました。

「CGに勝てるものがあるとしたら、それは生っぽさ」

NHKのドキュメントで池松壮亮さんが言ってた言葉です。
演劇の本質を突いてると私は感じます。
スーツアクターもCGも役者の代替物なので、それを超えられるのはもはや演者自身の肉体しかありません。

実際に池松さんがスーツを着たまま、ずっと第1号を演じておられましたね。
すると仮面をかぶっているにもかかわらず、佇まいや挙動がスーツアクターではなく池松さん本人に感じてくるのです。
それをもっとも感じたのは中盤過ぎ、倒れたルリ子に第1号が這って近づくシーンでした。
仮面をかぶって顔は見えませんが、スーツアクターという別人物の骨格ではなく、池松さん=本郷猛の狼狽する演技がそこに映し出されてました。
この上ない「生っぽさ」ですよね、だって本郷猛の弱さ丸出しのシーンなのですから。

この「生(ナマ)である感覚」が戦闘アクションにも求められた訳ですね。
TV番組でよくある「実際の映像がこちらです。どうぞ」て感じのものが。
ここで引き合いに雨宮慶太監督の「ハカイダー」を出します。
「おまえが正義なら、俺は悪だ!」とハカイダーのセリフがある作品です。
いやあ、このセリフかっこよくてシビれます。
ラストでハカイダーがミカエルと延々と殴り合うシーンあるじゃないですか。
庵野監督が指摘する段取りを極めたら、おそらくそれになるんですよ。

結果的にショッカーライダー戦はCGに(ついでに言えばチョウオーグ戦は役者本人たちによる泥試合に)差し替えられました。
映画本編を2回観た上で言いますと、庵野監督のこの決断は正解です。
仮面ライダーはバイクの映画でもありますし、ラストバトルに向けて加速してゆくにはバイクチェイスこそが一番相応しいと思います。
本編でのそこのシーンが映像暗くてよく分からないという意見については、1回目では分かりづらいかもしれないけど2回目3回目は結構分かりやすいです、と私は言います。
そもそも明るい画面に怖さを感じることなんてないですしね。
最後のチョウオーグ戦も、体力が限界に近づいた者同士が意気揚々と丁々発止するわけないですし、あれでよかったと私も思います。

チョウオーグ戦の画面の「湿度」はどことなく黒澤明監督「七人の侍」のクライマックスに似てませんか。
大雨の中、山賊が馬で所狭しと駆け回る中、泥だらけになりながら一心不乱に刀を振り回して戦うあのシーンです。
段取りアクションは歌舞伎やTV時代劇に通じますが、もしも「七人の侍」のクライマックスに歌舞伎が挟まってたら、果たしてどうなったのでしょうね。

ジェット・リーがまだリー・リンチェイだった頃のデビュー作であり代表作である「少林寺」という映画があります。
香港カンフーアクションは確かにすごくワクワクしますし、ワイヤーアクションの派手な演出も見てて楽しいですが、かくいう「少林寺」の武闘には目が画面に釘付けになって圧倒されたのを覚えています。
あれはリー・リンチェイ本人が中国武術大会で5回も連続優勝した実力者だし、出演者のほとんどがカンフーの実力者ばかりでしたからね。
庵野監督が言いたかったこと目指したかったものも、つまりそういう事だったのだろうと思います。
まあ、いろんな意味をこめて池松壮亮さんが一番頑張ったよね。
庵野監督、池松さん、他関係者の皆さん、おつかれさまでした。
シン・仮面ライダーを作ってくれて本当にありがとう。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。
個人の感想をまとまりもなく書いただけの記事です。

加筆(5月8日)

差し替え前のショッカーライダーのバイク戦がメイキングとしてTwitterで公式に解禁されたので私も見ました。
「にっしー映画感想」というYouTuberさんの動画にコメントとして私見を書いたのですが、映像を観た感想は「やはり差し替えで正解」です。
このバイク戦は漫画版の場合、先が見通せないほどの土砂降りなんですよね。
なので庵野監督も雨天でのバイク戦を撮影した訳で、水飛沫をあげながら迫る敵バッタオーグ達の画は確かにかっこいいです。
ただし昼間なので明るいし、野外だからだだっ広いし、その気になれば空中にジャンプして逃げれそうですし、何よりも地面がぬかるんで危険だから安全に撮影する必要上あまり危機感をそそられませんでした。
ですが漫画版と映像作品の一番の決定的な違いは、ここが本郷猛の死ぬシーンか生き残るシーンかという事です。
主役が殺されるからこそ雨が効果的に映えますし、雨に意義が生まれます。
石ノ森先生もそれを意識するからこそ雨の背景にした訳で、言い方を変えるなら、雨にまで演技を求めるなら本郷猛はこのシーンで死ななくてはならない訳です。
編集でどうにか出来る映像素材であれば採用されたのかもしれませんが。
多分庵野監督は途中でハタと気付いちゃったんですよね。
なので、先の見えない暗闇の中を不退転に突き抜けることにこそ本郷猛あり、と英断したのでしょう。
以下ににっしーさんの動画リンクを貼っておきます。
https://youtu.be/8rrnwh5ivyc

参考動画

無限まやかしさんの「コンテンツ語りラジオ」というYouTube動画(https://youtu.be/M8HfLuZfTJw)で脚本家の高野水登さんが語られてる解釈がプロの現場にいる人の目線で、私にとって一番しっくりくる内容でした。

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