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地球に“最果て”がなかったように、出入口もいつだって通過点。(#12)

『けものみち』という小説を御存じだろうか。
松本清張原作でこれまで何度もドラマ化、映画化されてきた作品だ。
料亭の女中だった主人公の成沢民子が小滝という男に
政財界の黒幕・鬼頭洪太の愛人になるように誘われる、というのが物語の始まりだ。
民子には脊髄損傷の亭主がいたが、彼にとって彼女は執着の対象、暴力的のはけ口でしかなかった。
ある日、小滝は民子いう。

「あなたにとって必要なのは入口ではなく、出口ではありませんか?」

そして民子は決意して自宅に火を放ち、鬼頭の愛人になる――。

出口は隠されている…

世界中には様々な美食があり、人々はそれらに舌鼓を打ち、心躍らせる。
咀嚼された刹那、それらは五感に訴えかけ、食した人たちを満たされた気分にする。
良質な栄養価は体内で分解吸収され、血や身の一部になったり、健康を維持させるのに役立つ。
あるいは排せつ物など別のカタチにも姿を変えられる。
もし皮膚や筋肉などが無色透明だったら、
理科室の人体模型像のようにその過程が生々しく再現されるのかもしれない。
出口にあるのは美を濾過した後の醜だ。
正直見映えいいものでもないし、それゆえ目を覆いたくなる。
生理現象の先には循環がある。失えば欲しを繰り返す。
循環は美醜の境界が曖昧になるする。
不純行為がいつの間に聖なる行為に昇華したり、人の気ままな解釈である。
文字通り、入口と出口は“一心同体”なのだ。

トイレと幽霊の関係

ところで怪談話ではトイレにまつわる話が多い気がする。
何故だろうか。ふとそう思い、考えてみたが、深く疑う材料が少なかったかもしれない。
トイレにある無機質さ、不潔さなど、それらが気味悪さを後押ししているのだろう。
かつて日本は汲取式トイレが主流であった。汲取って有機肥料に変えるシステムが存在した。
それが水洗式に変わるまで、実際トイレには視覚的な暗がりがあった。
また学校のトイレは鉄筋コンクリートと幽霊にある冷たさとの相性がいい、そんな理由からかもしれない。

人の“出口”に光を→関心を惹く=売上に結び付く

日本道路公団が2005年に解散・民営化された。
それを契機にサービス向上の一環として、高速道路のPAやSAのトイレ美化・近代化が進んだ。
とくにNESCO中日本が盛んで、恐ろしく綺麗なトイレを無料提供しているそうだ。

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PAやSAという“用途(つまり休憩やトイレ、仮眠など)”として重視されがちな場所だからこそ、より目立ちやすかったかもしれない。かつてPAやSAにあった幽霊が出そうな無機質さは光を当てられることにより、ただの“用途”から関心を惹く“入口”となった。

生理現象は人種も国籍もなく、安心と密接に関わる。
だから人が行きやすい。
ちなみにNESCO中日本では民営化時とその10年後を比べてPA・SAの売上は約900億円の増加したそうだ。

冒頭、成沢民子の場合、放火は彼女にとっての出口だった。ただ、そこはまだ地獄の途中、”けものみち”にいた。

PAやSAもまだ、道半ば――。出口の先にはドラマが待っている。

参考記事

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