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Movie:『PAD MAN 〜5億人の女性を救った男』(2018, 🇮🇳)(#4)

“ナプキンなどの生理用品を隠して使う”、そんな文化は日本にもあるようだ。確かに生理用品の話を真剣にしたことはない気がする。
それも良いはいえないが、たとえ”こっそり”であっても女性自身が生理用品を使うことに積極的であれば、まだ良い。そこから議論に至る余地があるからだ。しかし、そもそも使用すら拒むような状況であれば、最悪死と結び付いてしまう可能性すらある。そう、この映画の始まりはまさにその使用を拒む、そんな段階だったのである。
生理用品に限らず、文化的背景とは別にすれば一番の阻害要因となるのは何か、それは高価という点だ。それが消耗品ならば尚更、だって生理現象に貧富の差はない。
主人公夫婦は南インドで暮らしており、暮らし向きは決して豊かでない村社会で生きている。実話をベースにしているが、おそらくはインドの大多数である気がする。
主人公は旦那であるラクシュミ。しかし、私や多くの男性陣と同じく生理については無頓着であり、妻や彼の母など女性陣も”女性の問題だから立ち入らないで”というスタンスだった。
彼がこの問題に関心を持ったきっかけは一枚のボロ雑巾の存在である。彼はそれが何か分からなかった。こんな不衛生な布を何に使うのかと尋ねた。曖昧な回答の中で、うっすらと気づいた違和感を抱きながら、街で売られてあった新品のナプキンを見つけ、購入した。それは外国製で高価だが、彼なりの妻へのプレゼントだった。喜ばれると思いきや、怒られる。それどころか使わないこといわれた。彼は落胆した。
そのとき、作業員の怪我に際し、止血のためにそのナプキンを使って応急処置をした。そのことを医者に評価された。やはり自分の違和感は間違っていないと気づいた。
題の通り、最終的に彼は生理用ナプキン製造によって多くの女性の手助けを成し遂げたのだが、その過程で幾つもの”気づき”が存在している。

① 怪我人の止血に新品のナプキンの使用
 → 医師より感染症予防等の観点から評価される
 → あんな不衛生な布ではやはり危険だ、絶対に止めなければ
② 高価だから使わない
 → 何故高価なのか、だったら自分で作ってみよう。
③ 作ったものを妻にプレゼントするも使用されない
 → 品質の問題、改良が必要
④ データが必要
 → 女性に拒まれる、だったら自分で使ってみよう。

この過程で彼はまたから”血の付いたズボン”のまま神聖な川に飛び込んだ。インドで血は不浄なものであり、タブーだ。そして狂気な人として、親族から離婚を迫られ、妻は実家に連れ戻られてしまう。

上記①~④の過程で、発明家の原点でもある”分解”が徐ろに行われていた。
その中で合成繊維”セルロース”の存在を知る。しかし、今のように誰でもWebに接続できるそんな環境にない。それゆえ大学教授を尋ねる。
何とか住み込みで働き、漸く得たことは素材サンプルの入手と生産には高額機械が必要だということだった。
ここでも機械の本質に気づいていた。機械は必要な工程を行っているにすぎない。どういった工程が必要なのか。そしてその工程を落とし込んだ機械を完成させる。

それは無謀と運の話でもあった。けれど人生が全て目論見通り、青写真通り行くより、修正していくことの方が遥かに多い気がする。彼は結果“運”を手繰り寄せた。それはもはや運とはいえないのかもしれない。
諦めないこと、やり続けること、気づき、それらを一つずつ解決していったこと、特別になった人は特別なことを行ってはいなかった。誰でも出来ることを辛抱強く行っていただけだったのである。
インドには“ボリウッド”にも呼ばれる映画の場所がある。この映画はボリウッドスター揃い踏みの実話を題材にした映画だ。
描かれた人物は南インド出身のムルガナンダム氏、『TIME』誌で“世界で最も影響力のある100人”に選ばれた方だ。映画では“ラクシュミ”という別名になっている。
ラクシュミは最後にこう言う、“生憎、インドには多くの問題がある。だから可能性がたくさんある”、と。

我々の日常には”可能性”はないのだろうか。

今回の映画

関心の深堀
・ボリウット映画
・ヒンドゥー教

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