ノスタルジーを成立させるには

 ノスタルジーを成立させるには、現在の「わたし」(もしくは誰か)と、過去の「わたし」の二重の時間・視点の重なりが重要になってくる。映画の場合には、同じ時間に子どもの視点と大人の視点を重ねることでもノスタルジーが作られることがある。『歩道橋の魔術師』のノスタルジーの作り方を見てみよう。

 男は歩道橋の地面にチョークで円を描いた。そして黒い風呂敷を解くと、売り物をひとつひとつ置いていく。ぼくは最初、男が何を売っているのか、よくわからなかった。トランプ、鉄のリング、変なノート……姉貴はぼくに言った。あの人はマジックで使う道具を売ってるの。すげえ! マジックの道具を売る人なんだ! ぼくはマジックの道具を売る人の目の前で商売するんだ!

  「歩道橋の魔術師」の語りは、大人になった「ぼく」からのものであるが、実際には子どもの「ぼく」の視点からの語りも多い。この段落では「ぼく」の視点から魔術師が描かれているし、「すげえ! マジックの道具を売る人なんだ! ぼくはマジックの道具を売る人の目の前で商売するんだ!」のように、この時点の「ぼく」の感情や思考もそのまま表出されている。

 しかし、過去の「ぼく」の感情が出るだけではノスタルジーにはならない。過去の「ぼく」に「大人になったぼく」の感情が重ならなくてはならない。

「黒い小人は死んだ。ぼくのせいで死んだ。ぼくの心にぽっかり穴が空いた。きっとぼくの心も、紙で作られていたんだろう。」の「きっとぼくの心も、紙で作られていたんだろう」

 魔術師がマジックで使う紙でできた「黒い小人」が、雨に濡れてしまう。「子どものぼく」は、「ぼくのせいで死んだ」と思う。ここに子どもの感性・感情がとてもよく表れている。だが、最後の「きっとぼくの心も、紙で作られていたんだろう。」は「子どものころのぼく」の視点ではありえない。それを外側から見る視点が必要だ。それは「大人になったぼく」の視点である。だが、純粋に客観的に過去を振り返っているわけではなく、子どもの頃の感情にオーバーラップさせているのである。しかも、さりげなく。


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