橋本陽介

最新刊『文とは何か』(光文社新書)好評発売中!『物語における時間と話法の比較詩学』『ナ…

橋本陽介

最新刊『文とは何か』(光文社新書)好評発売中!『物語における時間と話法の比較詩学』『ナラトロジー入門』、文体論など。万年筆とビーグルが好き。

最近の記事

ローカルでディープでチープな中国

『鵞鳥湖の夜』(南方车站的聚会) 『薄氷の殺人』が非常に面白かった刁亦男監督の新作。  チンピラ同士の抗争の結果、間違って警察を射殺してしまったちょっと憂いのある阿部寛みたいな男のまえに、別の世界をずっと見続けているような女が登場、妻は来ることができないと告げる。  そこからフラッシュバックで、何が起こったかが語られる。そこから、女を絡めた逃走劇。話は超単純。  とにかく映像のセンスがいい。というか、馬があう。ローカルでチープでディープな中国を使いまくる。現代的な

    • 勘違いした川端康成

      『ユリシーズ』との関係が言われる川端の小説に「針と硝子と霧」と「水晶幻想」がある。結論を先に言えば、川端の上記二作品は『ユリシーズ』の技巧を取り入れたものではなく、伊藤整の『ユリシーズ』翻訳とそれを模倣した小説の影響を受けたものだと考えられる。  「針と硝子と霧」では、冒頭部分で主人公の朝子が郵便箱に投函されていた針を見つけると、括弧にくくられた朝子の内面が挿入される。 (郵便配達ではなかった。若い女かしら。いや、飛び出した頬骨 ― 針を配ってゆく女。八九年前に卒業した女

      • 『ユリシーズ』の名詞句②

        『ユリシーズ』といえば、「内的独白」であり、地の文の中に人物の心の中の言葉が織り込まれる。今日は、文学的観点からまとめてみる。(なお、より詳しくは橋本陽介『越境する小説文体』をご覧ください)  『ユリシーズ』の「内的独白」部分を見ると、①人物による言語化される前の知覚 ②意識的な思考 の二つが織り込まれていることがわかる。ジョイスがその形式をまねしたとする『月桂樹は切られた』では、人物の知覚が断片的名詞句として表されている。 Le garçon. La table. Mo

        • 『ユリシーズ』の名詞句①

          「ビーグル!」のようなものを一語文として文とみとめるかどうか、という問題。認めない、とするなら、それはなぜか。認めるとすれば、それは主語なのか述語なのか?これも何を文と認めるか、というところに戻ってくる問題。 「主語」だとするとどうなるだろう。主語だけでも「文」になりうると考えるか、あるいは「ビーグルがいる」のように述語が省略された形と考えるか。 「ビーグル!」だけで「ビーグルがいる」を表している場面であれば、「ビーグル!」単独でその存在を陳述する働きがあると考えられるので

        ローカルでディープでチープな中国

          連体修飾語の話

           修飾の構造に最近興味を持っている。どうも、言語によって修辞的にけっこう差が出るのは、修飾構造の使い方なのではないかと思っているのである。  日本語の連体修飾構造は、文章をすっきりみせるためによく利用されている。 大やけどで死ぬかもしれない子供を抱いて微笑む母親の写真のほうがずっと現地の困難さをリアルに伝えていると思うのだが・・・・・・。そんなことを瀧野さん相手に力説した私だったが、実は私も大いに勘違いしていることが発覚した。(高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』) 「

          連体修飾語の話

          マジックのタネが明らかにされるとき

           魔術師はそう言い終わると右手を差し出した。まるでその上に乗ったなにかを見せつけるように、ぼくの目の前で手のひらを止めた。だいたい三〇秒くらいあっただろうか。そのあいだぼくは、魔術師の手のひらにあるマメを見た。手のひらにある入りくんだ掌紋を見た。そして魔術師はゆっくりと、人差し指、中指、親指を曲げ、すっと自分の左目へと挿しこんだ。それを見てぼくは、自分の眼球にかすかな痛みを感じた。魔術師の眼窩はとても柔らかいらしく、指はあっという間になかへ滑り込んだ。魔術師はわずかに指を回す

          マジックのタネが明らかにされるとき

          ノスタルジーを成立させるには

           ノスタルジーを成立させるには、現在の「わたし」(もしくは誰か)と、過去の「わたし」の二重の時間・視点の重なりが重要になってくる。映画の場合には、同じ時間に子どもの視点と大人の視点を重ねることでもノスタルジーが作られることがある。『歩道橋の魔術師』のノスタルジーの作り方を見てみよう。  男は歩道橋の地面にチョークで円を描いた。そして黒い風呂敷を解くと、売り物をひとつひとつ置いていく。ぼくは最初、男が何を売っているのか、よくわからなかった。トランプ、鉄のリング、変なノート……

          ノスタルジーを成立させるには

          段落末尾でずらす技術

           呉明益の連作短編『歩道橋の魔術師』を読んでいる。ちょっと気づいたことを、書いていこう。 段落末尾は一連のトピックを終結させるところ 一つの段落は、一つの意味のまとまりとして作家が提示しているものである。基本的には最初にトピックの提示かきて、それを具体化し、最後にまとめる形がとられることが多い。  段落最後の文は、そのトピックのまとめになる。このまとめの仕方が、呉明益はうまい。  最初の日、姉貴が朝、歩道橋までぼくを連れてきて、昼ごはんのおにぎり(飯糰)を置いて帰ってい

          段落末尾でずらす技術

          『文とは何か』(光文社新書)序文公開 橋本陽介

          https://www.amazon.co.jp/dp/4334044883/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_liUwFbHPCDT01 @amazonJPより 最新刊『文とは何か 愉しい日本語文法のはなし』 文法はエンタメだ  私たちは普段、言葉を使って生きている。言葉を持っているところこそ、人間が人間であり、他の動物とは異なる点である。  とすれば、言葉とは何か。それは私たち人間の本質にかかわる問題だ。  本書は、言葉とは何かという壮大な問いについて考える

          『文とは何か』(光文社新書)序文公開 橋本陽介