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【100円ノート】アドラー心理学で時代を読む!第2回「課題の分離」

こんにちは、かんばやしです!

メリークリスマスですね。

そんな聖なる日にココロを刺激するクリスマスプレゼントです(笑)


前回の内容を簡単にまとめると、

「世の中は承認欲求であふれている」

って話でした。


「ああすべき、こうすべき」といった「べき論」もその一つです。

ネットを開けば様々な言論や言説が飛び交い、書店に行っても「こうしなさい!」というタイトルの本で溢れています。


しかし「ああすべき、こうすべき、そうじゃなかったらゆるさない、悪はぜったい許さないー!」という考え方の人は、

まぁ幸せにはなれないでしょう。


たとえば1000のイレギュラーをやっつけたとします。

しかし、1001個目が発生しない保証はどこにもないのです。

1001個目のイレギュラーを潰しても、1002個目、1003個目・・・と新たに発生すればその度に突撃し、延々とそれを繰り返します。


「悪はぜったい許さない!」で評価されるのは警察や警備の人などそれを仕事にしている人たちくらいです。


そうした仕事なわけでもない一般人が思想として掲げていても、考え自体に振り回されてしまい、心が休まる暇がないのです。


そしてそういう「べき論」は振りかざす人自身だけでなく、同調を求められる周りも振り回します。

しかし段々ついていくことに疲れて行き、次第についていけなくなっていくのです。



そこで登場するのが「課題の分離」です!

他人(ひと)は他人(ひと)、自分は自分というやつですね。

他人から課題を頼まれても、「それは君の課題だから」とNo!を突きつけるのです。


これで煩わされなくなって一安心・・・と思っているそこのあなた!


甘い!


それで苦しい気持ちから解放されると思ったら大間違い!


むしろそこがスタートラインなのです。



まずは「承認欲求とは何か?」という基本を振り返りましょう。


承認欲求とは他者へのお願いです。「○○をやって!」という形になります。

そしてそれが断られたら「やらないのは許さない!」となるわけです。


つまり承認欲求とは前回言った「正しくあれ、正しくなければ許さない!」と分類できます。


逆に課題の分離というのは「悪はぜったい許さない!」に分類されます。

「No」を突きつけているからです。

言ってみれば「(他人の事だから納得できなければ)やらない→やらそうとする(巻き込む)のは許さない!」ということになります。


ではここで「自分は正しい」という認識がどのように形成されるのか見てみましょう。



立論(こう思う、こうすべき!)

証明・賛同(ネットだといいねやRTなどのバズりがいい例)

認められることで「自分の意見は正しい」という認識ができる

そこに反するものに対しては「正しくなければ許さない!」を振りかざす


・・・という流れです。

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何か指標ができるとそこから外れるもの、異質なものが許せなくなります。保守化することからは逃れられないのです。

しかもそれが正しければ正しいほど、つまりその指標が間違っている可能性を理解できなければ出来ないほど保守化していきます。


余談ですが、価値観の合わない上の世代を「あんな大人になりたくない」と非難している場合ではないのです。

われわれも年を取っていくわけですから、悲しいことに批判すればするほど近づいていきます。


閑話休題。


今度はこの流れを「悪はぜったい許さない」に当てはめてみましょう。


立論「悪はぜったい許さない!」

評価(賛同)

「自分は正しい」という認識ができる

反対意見には「悪を許す奴はゆるさない!」という姿勢になる


・・・とまぁこんな具合です。


ただでさえ「悪はぜったい許さない!」と肩ひじ張って生きているのに、

それを許す人も許せなくなるので、精神的にジリ貧になっていきます。


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では課題の分離とはなんでしょうか?


相手の「これお願い!」に対し、「僕の課題じゃないからNo」と言う。


つまり課題の分離とは

相手の承認欲求に対して自己愛を確立すること


なのです。


いま、あれやれこれやれと言われて従ってしまう人は「相手に嫌われたくない」と言う事を聞いているのだと思います。

相手に嫌われたくないというのも、相手から必要とされたいという承認欲求です。


なのでそういう人はまず課題の分離を行って、自尊心を取り戻すことが必要です。


しかし、そこで止まっているから、今度はあらゆることが理不尽に感じ、目につき鼻につくのです。


そこで、自分の承認欲求、課題の分離と来て次のステップはと言うと・・

自分の課題を自分で行う事。


課題の分離によって他人の頼み事はやらなくなったとしましょう。

しかし自分はというと他人にお願いをする、他人を頼る、つまり他人に承認欲求を向けてしまうのです。


せっかく課題の分離を行っても、また承認欲求に逆戻りしてしまい、

「なぜ、誰も自分に対して積極的に貢献しようとしてくれないんだ!!」と現実に苦しむことになるのです。

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まさに、自分はいいけど他人はダメいう状態です。

こういう状態を「甘え」と言います。


ちなみにネットでよく見る「~は甘え」というのは「~を期待するのは見通しが甘い」というニュアンスという印象を受けます。


では、この「甘え」が満たされることはあるのでしょうか?


自分はいいけど人はダメということは、他人だってそう思っているのです。

つまり、人は他人の甘えは許せない生き物なのです。

であれば、他者によって甘えが満たされることはほぼ無いと言っていいでしょう。


この「甘え」を脱却するためには自分の課題は自分で行うしかないのです。

自分の課題は自分でやると決意できれば、不思議と活力が沸いてきます。


そのエネルギーを糧に、自分の人生を切り開いていくのです。

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長々言いましたが、要は自分の事は自分でやれってことです。


自分の事を自分でできるようになったら、今度は再び他者との関係性に戻っていきます。

結局他者と関わって生きていかなければならないわけですから。


というわけで次回は「どう他者に貢献するか」がテーマです。

そこで「人にとって働くとは?」という問いにも一つの答えを示しますのでお楽しみに♪


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それでは今回はここで閉めたいと思います。ここまでお付き合いありがとうございました!


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