見出し画像

1月30日◆”整う”という感覚

いきなり余談から入るが、私はサウナで”ととのう”という感覚を味わえずにいる。ある種の”恍惚感”のような感覚を”ととのう”と呼ぶことは知っているが、どうしてもその状態にたどり着くことができない。冷え性がひどすぎて、体の芯まで温まりにくいのが原因だと思うのだが、とにかく水風呂が苦痛すぎるのだ。けれど、水風呂なしでは”恍惚感”を味わうことができないと耳にするので、きっと私には永遠に到達できない境地なのだろう。半ば諦めている。

今日ここに記しておきたいのは、”整う”という感覚だ。歳を重ねるごとに実感できるようになった。

私の場合、”整う”という感覚は主に家事全般などの暮らしの営みからもたらされることが多い。モノをあるべき場所に収めたり、洗濯物を干したり畳んだり、掃き掃除や洗い物をしたり。そして自炊をしてごく普通の食事をしたときも”整う”感覚を覚える。

かつては乾燥機付き洗濯機を使ったこともあり、その時は干すことばかりでなく畳むことまで放棄していた。ロボット掃除機が家の中を掃除して回ってくれていたこともあったし、今でも洗い物が多い時は食器洗浄機を使っている。もちろんとても便利だったし、家事から開放された嬉しさから、もうこれらがない生活には戻れないとすら思っていた。

それがある日強制終了させられたのだ。乾燥機付き洗濯機は引越し先の洗面所を通過することができず、泣く泣く手放すことになった。そしてロボット掃除機はメンテナンスをしても、ちっともゴミを吸わなくなってしまった。そんなわけで、干す&畳む&掃くを自分でせざるをえなくなったのである。

しかしここで意外な発見があった。その家事をすることで自分の心が整うようになったのだ。毎日のルーティンに癒やしを求めるつもりは毛頭なかったのに、不思議と自分の心が落ち着いてきた。これぞマインドフルネスかもしれない、と思った。その上(数日前に書いたように)、自分がいる空間がキレイになると、嬉しくて充実感で満たされる。

もちろん、毎日こういう気持ちになれるとは限らない。けれど掃除や洗い物が”整う”ために必要な行動だと捉えられるようになってから、とても気が楽になった。改めて、大人になって良かったと思える心の成長だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?