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日本批判は自虐か?

日本を批判する日本人なんて珍しいだろうか?
それが自虐だというひとたちがいる。
日本を批判することが自虐だとすると、批判する自分=日本ということになる。
つまり、日本人=日本国家だというのが「自虐」という言葉を使うための前提である。
言うまでもないが、個人は国家ではない。朕は国家なりと言ったルイ14世ではあるまいに。
国家の中枢にいる連中は汚職にまみれているが、あなたや私が彼らと同じなのだろうか。いったい、彼らと私たちとどちらが国なのか? 新聞で「国は国民を保護する義務がある」くらいのことはお目にかかる。国は国民ではないのだ。
「保育園落ちた日本死ね」と言った女性は自虐か。子どもを保育園に行かせることもかなわない女性にとっては、自分をそんな目にあわせる行政を支持することこそ自虐だ。
国の言いなりに零戦や回天や桜花で死なされた若者は日本を恨まずに死んで行っただろうか。国家の命令に従って死ぬことこそ自虐だろう。
自虐という言葉をつかうひとたちは、会社=社員だと思うことにも疑問を感じまい。薄給でこき使って、会社建て直しだとか言ってクビを切る企業が、その従業員とイコールであるはずもないのに。
自虐という言葉を使うひとたちは、妻=夫、親=子と思ってるのだろう。一心同体なんて、気持悪い。そんなお人好し?傲慢な考え方では妻が迷惑する。あげくのはては、離婚しても子どもの養育費を払わないで、元妻と自分の子どもを貧困と飢餓に追い込んだりするのだが。
これで自民党とその支持者たちが夫婦別姓に反対する理由がわかるというものだ。

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