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意外と夏じゃないヨルシカの曲

 僕はヨルシカの曲が(人並みには)好きだ。何が好きかと訊かれれば、一番有名な「ただ君に晴れ」と「だから僕は音楽を辞めた」という、ファン(仮)としての素質を疑われるような答えにはなるが、ともかくその二曲に関してはよく聴いている方だと胸を張ることはできる。
 それで考えたことが一つあって、この文章を9月に書いている。それは、ヨルシカの曲は——少なくとも「ただ君に晴れ」と「だから僕は音楽を辞めた」の二曲に関しては、夏ではなくむしろ他の季節に聴くべきではないか、ということだ。
 何を言うのか、と僕よりよほど熱心なヨルシカファンは反論するだろう。ヨルシカほど夏にぴったりな曲を出すアーティストもいないだろう、ヨルシカの曲が夏をテーマにしていることは少し聴けば明らかなはずだ‥‥‥と。
 確かにそうだ。ここでは二曲についてのみ論じるが、例えば「ただ君に晴れ」の一番の歌詞は夏の情景を歌ったものになっているし、MVにも海辺の町と東京の風景が秀逸なカメラワークで映し出されている。「だから僕は音楽を辞めた」も、「夏」を「青春」に置き換えた上で同様の構造が取られている。
 だから、ヨルシカが「夏=青春」をテーマにした創作を行っていることは間違いがない。しかし、それはMrs.GREEN APPLEの「青と夏」のような、少年が等身大で楽しむ夏ではない。むしろ、おじさんになってしまった少年が振り返り懐古する夏(青春)なのだ。
 「だから僕は音楽を辞めた」で考えてみよう。一番の歌詞で、「考えたって分からないし、青春なんてつまらないし」という一節がある。この歌の主人公は夏=青春をつまらないものだと断じている。主観的に世界がつまらなく感じられることを、自分のせいではなく世界のせいにすることで他責的に解決しようとしている。つまり、この曲における少年は現在進行形で青春、夏を楽しめてはいない。また、「将来何してるだろうね 音楽はしてないといいね」と、何かに全力になることに対して感じる根拠のないカッコ悪さも歌われる。

間違ってるんだよ わかってないよ あんたら人間も
本当の愛も世界も苦しさも人生も どうでもいいよ
正しいかどうか知りたいのだって防衛本能だ
考えたんだ あんたのせいだ

 これはサビの歌詞だが、世の中の人間が「間違っている」「わかってない」と断じ、青春のつまらなさを「あんたのせいだ」と責任転嫁している、厨二病的な姿勢をうかがうことができる。涼宮ハルヒや「僕の心のヤバイやつ」の市川京太郎みたいな主人公だ。
 しかし、ハルヒや市川と違って、「だから僕は音楽を辞めた」は青春の真価に気付けないまま大人になってしまった人間の物語として展開していく。「将来何してるだろうね」と歌った主人公は、二番でそれに答えるようにして、「何もしてないさ」と自嘲的に歌う。おそらくこの時点で主人公は青春を終えてしまっており、他責的な価値観と厨二病的感性を抱えたまま大人になってしまったことへの後悔を見ることができる。この後の歌詞では、青春を空費してしまったことへの悔いと苦しみ、そしてそれを慰めるために他責的なスタンスを取らざるを得ないどうしようもなさがひたすら歌われることになる。
 つまり、「だから僕は音楽を辞めた」のテーマである「青春」は、すでに失われてしまったもの、憂鬱と共に懐かしむ対象として描かれているのだ。
 そして、この曲がフォーカスしているのは、その「失われた青春」の美しさであって、少年期を過ぎてしまったおっさんの青春をめぐる煩悶、心理状態ではない。
 歌詞では確かに「失われた青春」をめぐる苦悩が展開されているのだが、MVではそんな可哀想なおっさんを肯定するでも否定するでもない美しい川辺の風景のアニメーションが映され続ける。川沿いの土手道を歩き続ける少年が、いつしか夕暮れと共に河口に辿り着く流れは、青春を空費したおっさんの「人生」の比喩である。そして、悔恨と煩悶に満ちて海にたどり着いた元少年を待っているのは、美しい夕暮れの海の光景だ。まるで、一人のおっさんの苦しみなどちっぽけなものでしかないと示すように、主人公を物言わぬ黄昏の風景が包み込む。つまらないのは世界(風景)ではなく、その美しさを感じることのできない人間の方だという観念が、「だから僕は音楽を辞めた」の根底にはある。
 「だから僕は音楽を辞めた」より前に発表された「ただ君に晴れ」では、さらに明確に「風景>人間」の姿勢が表れている。「あの夏」と「君の思い出」がキーワードとなる歌詞が展開され、一部ではここで歌われる「君」は故人ではないかという考察も立っているが、あくまで「君の思い出」はテーマではなく「あの夏」を懐古させるトリガーとして機能している。その証拠に、「写真なんて紙切れだ 思い出なんてただの塵だ」という歌詞がある。「君の思い出」は「あの夏」の風景の前では風化していくのみだという、風景に対する自意識の敗北のようなものが歌われている。
 MVを見てもそれは明らかだ。海辺の小さな町の夏の風景(海とか踏切とか駐輪所とか)と、東京の夜景とが交互に、過剰なほどリリカルに美化されて映し出される。その内、海辺の風景の中にのみ、目隠しをされた少女が遊び回っているのが挿入されている。このMVにおいての少女は明らかに過去の風景の一部として描かれており、目を隠しているのも、少女が「現在」ではなく「過去」の、「人間」ではなく「風景」に属する存在であることを強調するためだろう。
 つまり、「ただ君に晴れ」と「だから僕は音楽を辞めた」は、「夏=風景=過去=青春」と「夏以外=人間(心理)=現在=大人」との対立構造を設定し、前者に重心を置くことで「大人になってしまった人間が青春を懐かしむ」という図式を持っている点で共通している。だから「だから僕は音楽を辞めた」の主人公は、世界の美しさと自分のつまらなさを自覚した上で、世界を攻撃する(そしてそんなさもしい主人公さえ美しい風景の中に包み込まれる)し、「ただ君に晴れ」では「思い出なんて(実際の風景と比較すれば)ただの塵だ」と歌われる。
 ヨルシカが歌っているのは確かに「夏」だが、現在進行形ではなく過去の、もう取り返せない「夏」だ。
 だから、夏になってときめくヨルシカファンの方に水を差すことにはなるのだが、「ただ君に晴れ」と「だから僕は音楽を辞めた」を夏に聴くのはそれほどふさわしい行為ではないように思えるのだ。なぜなら、ヨルシカが歌うのは「終わってしまった夏、青春」なのだから。もちろんどの季節に聴いても名曲は名曲だし、いつ何の曲を聴くかというのは個人の自由である。だが、とりあえず青春真っ只中の高二でこれを書いている僕は、二十代後半くらいの九月下旬、「夏」と「青春」が完全に葬送されてしまったほろ苦さを噛みしめてヨルシカの曲を改めて聴いてみたい、などとクソガキ心で考えている。


だから僕は音楽を辞めた
ヨルシカ - だから僕は音楽を辞めた (Music Video) - YouTube
ただ君に晴れ
ヨルシカ - ただ君に晴れ (MUSIC VIDEO) - YouTube

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