サンタクロースの正体を間違っていた

クリスマスの夜に煙突からサンタクロースがプレゼントを持ってくる。

息子と娘が産まれてからは、年末の恒例行事である。もっとも賃貸マンションである我が家には煙突もなければ、窓や玄関にも鍵がかけられている。
それでも子どもたちにとっては、サンタがプレゼントを持って来てくれる特別な日ということになっている。

親が子供たちを喜ばせようと様々な演出をしてプレゼントを用意する。
子どもたちにも手紙を書くことを勧めたり、一緒になってクッキーや牛乳を用意したりする。

そういった子供を喜ばせようとする親の気持ち自体がサンタクロースの正体なのだと思っていた。

毎年、サンタが現れた翌朝はドタバタとはしる子どもたちの足音と歓喜に沸く声で目を覚ます。
その喜ぶ顔を記録に残そうと、私と妻はすかさずスマホをカメラモードにする。写真を撮る、ムービーを撮る。
去年のクリスマスも子供たちの成長を記録に残すことができた。満足だ。

幼い子供を持つ親が、サンタが本当にいると子供たちに話し、自作自演の演出で子供を喜ばせようとするのはなぜか。
それは子どもの笑顔を見たいからだ。

長男は来年で小学生に上がる。様々な演出も不要になり、やがてサンタは来なくなるかもしれない。
子どもの成長は嬉しいが、無邪気な笑顔が見れなくなるのはどこか寂しさもある。

去年のクリスマス、スマホで撮影する妻の顔は子どもよりも満面の笑みだった。私もそうなっていたのだろうと思う。
クリスマスに一番喜ぶのは私たちの方で、毎年サンタクロースからプレゼントをもらっているのも自分たちだったのかもしれない。

もうすぐ子どもたちが目を覚ます。どんな顔をしてプレゼントを開けるのだろうかと思うとワクワクする。サンタクロースは子どもたちの方だ。