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【N/S高政治部】「政治の役割」を振り返って

初めまして、こんにちは!政治部4期Bチームのくうと申します。
今回の記事では政治部へのエントリーから7月5日に行われたゲスト講義「前参議院議員 大門実紀史さんと考える『政治の役割』」に参加するまでの、私の心境の変化や学びを書いていきたいと思います。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけたら幸いです。

7月5日の講義のアーカイブはこちら↓

【N/S高 政治部】前参議院議員 大門実紀史と考える「政治の役割」

1政治部を志望した目的
私は現在高校一年生です。N高での生活が始まり、政治部に入部するのも初めて、部活という経験すら初めて、何もかもが初めてです。そんな新米の私が思う「政治部の魅力」の一つはやはり、「政治の最前線」に立つ方々に実際にお話しを伺うことができることだと思います。
私はこのような活動を通して「社会を見る目」を養うために、政治部を志望しました。
情報の「疑い方」と「信じ方」
入部直前に、政治部の過去の活動について知っておこうとnoteの「N/S高 政治部マガジン」を読んでいた時、昨年先輩が書かれた「【N/S高政治部】『情報戦と戦争と政治』とは?(特別講師:三浦瑠麗氏、石戸諭氏)」という記事を見つけました。

note記事はこちら↓

https://note.com/yanananana/n/n7a6f5d869ef7?magazine_key=m31eb145844eb

アーカイブはこちら↓

【N/S高 政治部】 テーマ別ゲスト講義「情報戦と戦争と政治」|ゲスト:石戸諭

これは昨年度、石戸諭さんがご登壇された「情報戦と戦争と政治」のゲスト講義についての記事でしたが、情報の見方、考え方についての重要なヒントが隠れているような気がして、講義の様子や記事を注意深く見ていました。
このnote記事で書かれていたように、私は石戸さんの「メディアリテラシーにはアップデートの必要がある」というお話に衝撃を受けました。
目に入った情報を手当たり次第に鵜呑みにしていては危険です。しかし、その危機感が先走り過ぎて陰謀論を盲目的に信じるようになっても、疑心暗鬼に陥ることになります。
情報が溢れかえっている社会では、何を信じて何を疑えば良いのか、確度が高いことを自分の中で決定するのが非常に困難です。私自身「メディアに振り回されないようにしよう」という思いに振り回されていて、結局何も考えず、自分の意見を持てていないことに気がつきました。
溢れかえる情報の中で自分が何を信じ、どんな思考をして、将来の社会に何を望み、そのために自分は何をするのか。「社会を見る目を養う」という当初の目的がより整理された気がします。

2政治の役割について考える
そんなことを思っている間に、一年間一緒に活動するチームのみんなと顔合わせをして、政治部の活動が本格的に始まりました。政策提言について話し合ったり、国会議事堂の見学に行き親交を深めたり、他のチームの進捗の速さに衝撃を受けることもありました。そんな中、私の中で、「チーム運営という所謂『政治』の中での私の役割とはなんだろう」という疑問が芽生えました。
これは恥ずかしながら自分への自信のなさから来たものでした。私は政治の知識もないし、グループワークの経験も少ないです。他のメンバーのように法律に詳しいとか、起業しているなどということもなく、このようにすぐに他人と自分を比較する悪い癖があります。「ネガティブな連鎖」の傾向を感じると同時に、チームの中でどのように貢献できるだろうという疑問も湧いてきました。
政治部事務局の方など、さまざまな人に助言を仰ぎ、考えを整理した結果、単純な話でした。私はただチームにどのように貢献したら良いかを考えたいのに、自分の主観によるメンバーへの印象に振り回され、目的を完全に見失っていたことに気がつきました。
一般的に、印象で対象の役割を勝手に決めつけてしまうことは、対個人に限らずよくあることだと思います。
例えば、今回のゲスト講義で登壇していただいた大門実紀史さんの所属される日本共産党に対しても同様でした。ゲスト講義での大門さんへの質問案を考えている時に、日本共産党について調べていました。
「日本共産党」という党名には、見てわかる通り「共産」という単語が入っています。日本人の私は、民主主義とそれ以外という括りで政治の体制を印象づけ、心のどこかで日本の民主主義は完成しているとすら思っていたのかもしれません。ただそれだけの印象で、共産主義という言葉を民主主義と対局の存在であるというように役割を決めつけてきました。実際は共産党の理念は資本主義、民主主義の否定ではなく、「資本主義社会の枠内で民主主義の徹底を試みて、その先の未来に共産主義によってより良い社会を作りたい」というものでした。民主主義と共産主義の定義の話すらしていないのに、ただざっくりとしたことを知っただけで、私の脆い印象は崩れました。
これは私の恥ずかしい話でしたが、このような認識を持っている人も少なくないのかもしれません。
今回のゲスト講義でも話題に上がりましたが、日本では政治に関連した話をタブーとして避ける傾向があります。そのような環境で育てば、子供も政治に関心がなくなるのは自然です。もっと政治についての意見を交換する場があれば、政治や社会について正しい理解ができて、若者の政治への興味も上がるのかもしれません。そんな環境を整えるのも政治の役割の一つだと思います。

3講義を受けて
短期間の中で濃密な経験をしましたが、無事にゲスト講義を終えることができました。学びや発見がぎっしりと詰まった2時間で、内容を整理するのに講義の動画と自分のメモを何回も見直しました。

特に興味深かったことは国民が望む「普通で当たり前な生活」の実現について、実現するためにどのように国民の意見を取り上げて反映させていくかという話です。
何を持って普通というべきかという点が重要なポイントだったと感じます。川邊さんと大門さんはお二人とも、大きく分けて二つの手段があると仰っていました。
一つ目は「意見のデータをとって、大多数を占める一般的なものを普通と定義して反映していくこと」。二つ目は「一人一人にとっての普通に合わせて小さな規模で適応していくこと」です。これらは対局的でありながら、どちらも重要な視点だと思います。大多数ばかり反映して少数派が置き去りにされてもよくないし、かといって全ての人が望む全ての普通を同時に叶えることもとてつもなく困難でしょう。故にどちらの視点も大切にしながらバランスを取っていくべきだと考えましたが、それではあまりに抽象的です。具体的にどのようにバランスをとるべきなのだろうと考えましたが、これは「実践」することで見えてくるのかもしれません。

意見を統合して意思決定を図るという点でグループワークは一種の「政治」といえるので、スケールは違えど、この考えを実践できると思います。チーム運営のなかで仲間へのアプローチの仕方を模索する練習にもなるでしょう。また、身近な場所での検証。これはきっと今の私に必要なものです。「大きな規模での政治」ばかりを考えていましたが、より個人との距離感が「近い地域の政治」の理解も深める必要があると感じています。
大門さんは、「社会課題や疑問点など、身近な社会で感じたことを大切にすべきだ」と仰っていました。自分と直接関わりのあるところから視野を広げていくことは、社会をより深く見つめるのに効果的かもしれません。

4終わりに
以上のようなことを考えて、約三ヶ月を過ごしてきました。何か疑問や意見を持って頭の中が言語化されていくのはとても楽しく、成長に繋がっていると思います。政策提言の話し合いも活発化してきたので、この先の時間はもっと濃密で忙しくなっていくと思いますが、楽しみながら頑張っていこうと思います!
N/S高政治部マガジンでは他にもさまざまな記事を掲載していますので、合わせてご覧ください。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!


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