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セットタイマー村

この素敵なイラストは、みんなのフォトギャラリーに投稿されたTajifusenさんのものを使わせていただいています。ありがとうございます。

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 ひょんなことがきっかけで、僕はこの村で診療所をやっている。前にいた市中病院の不倫や妬みといった人間関係が嫌になっていた矢先に、縁があってここに来たのだ。

 前の先生から診療所と患者さんをほぼそのまま引き継ぎ、この小さな村で代わり映えのしない日常を満喫している。強いて変わったことを挙げるならば、毎週水曜日になると決まって午前中に診察が終わり、一時に市川さんから電話が入る。それから決まった時間に新田さん、緑川さん、篠宮さんの家を回るといったことくらい。篠宮さんの家に行く前にスーパーの自販機で緑茶を買うタイミングまでぴったりあってしまうのだから、水曜日になるたびに習慣の強力さを感じるものだ。

 緑茶を飲み終えて篠宮家に向かと、いつものように娘さんが花壇に水をやっている。娘さんと言っても今年で五十五歳、僕よりも二十も上だ。車から降りて声をかける。

「こんにちは」

 娘さんは水やりの手を止めて振り返り、にっこり笑う。

「遠藤先生こんにちは。すみませんね」

 娘さんに案内されて居間に入ると、篠宮さんはベッドに座って待っていた。あいさつを交わしてから喉の奥の色を見て、聴診器で肺や気管の音を聞く。息を吐いた際のひゅうひゅうという音は先週と変わらない。

「ぜんそくの症状があるものの、ひどくなっている様子はありません。引き続き様子を見ましょう」

 いつものように娘さんに咳止めと痰を出しやすくする薬を渡す。吸入薬を吸う練習はしているかと聞くと、娘さんの顔が曇った。

「遠藤先生すみません、また吸入薬を無くしちゃって……」
「ああ、大丈夫ですよ。持ってきたので」

 謝る娘さんに見送られながら帰ろうとすると、篠宮さんも外に出てきて手土産を持たせようとする。いいよと言ってもいいからいいからと言ってきかない。僕はそれを受け取り、診療所に帰る。水曜日の流れはだいたいこんな感じだった。

 次の水曜日も午前中に診察が終わった。お昼休みになり、気になっているカフェのことを思い出して行ってみようと準備する……のだが億劫になって今日も近くのコンビニで弁当を買って済ませた。そうこうしているうちに一時になり、電話が鳴る。市川さんの息子さんからだ。

「胸が苦しいっていうんです」
「わかりました。すぐ行きます」

 市川の家は車で十分のところだった。到着すると市川さんの息子さんが出迎える。

「先生……」
「大丈夫ですよ。診てみましょう」

 家に上がって最初のうちは苦しそうにするが、しかしすぐにおさまって調子が良くなる。この村に来て間もないころは焦ったが、今では落ち着いて診れるようになった。いつものように胸の音を聞いて、血管拡張薬を処方する。

「大きい病院に連絡は?」
「いえ、母がどうしても先生の方がいいって……」
「ありがとうございます。気持ちはうれしいですが、検討してくださいね。小さな診療所だと、できることが限られますから」

 それから新田さんの家、緑川さんの家を回って、いつも通りスーパーに行く。自然が豊かなこの村は嫌いじゃなかった。人も親切な人ばかりで、診療所近くの薬局の人たちも優しい。ただ、周りを見渡せばみんな僕よりも一回り以上年上の人ばかりだった。娯楽がないのは気にならないが、出会いがないのは少し寂しい。

 そんなことを考えていたら、うっかり自販機のボタンを押し間違えた。取り出し口には緑茶ではなくウーロン茶が落ちている。仕方ない。僕は渋々ウーロン茶を持って、車に戻る。

 ふと違和感を覚えて、スーパーの入口辺りを見た。同い年くらいのスーツを着た女性で、ほっそりしている。帰省か何かで来たのだろうか、村では見かけない顔だった。スマホを忙しなく操作しては辺りを見回していて、何かを探しているようだった。

「あの、どうかしましたか」

 女性は振り返り、戸惑った表情を向ける。

「えっ、ああ、すみません。道に迷ってしまいまして」
「どこに行きたいんですか」

 女性はスマホをこちらに向け、地図を見せる。目的地は農協になっていたが、前の場所のままになっていた。

「農協、場所が変わってますね。もしよかったら、乗っていきますか」

 女性はためらっているらしく、目を逸らす。それはそうだ。初対面の男の車に乗るのだから無理はない。

「訪問診察に向かう家の通り道なんで」

 遠回りになることは伏せておいた。白衣を着ていることもあってか、女性は警戒を解いて申し訳なさそうな顔をした。

「すみません、お願いしてもいいですか」

 僕は女性を案内して、車に乗せる。送っていくとは言ったものの、隣に人を乗せるが久しぶりで急に緊張してきた。エンジンをかけると先ほどまで止まっていた音楽が再び車内に流れる。

「この曲、もしかして」
「知ってるんですか」

 驚いた。有名な音楽番組に出ていたわけではなく、ひっそりと解散したアーティストだから周りに知っている人が少ないのだ。

「はい。アルバム持ってます」

 共通の話題ができたこともあってか、お互いに緊張がほぐれて、身の上話をするようになった。

「前はコンサル関係の仕事をしていたんですけど、辞めちゃったんです。それで、この村の農協の広告を見て、ここに来たんです」
「農業ですか。思い切りましたね」
「そうですね。でも、やってみようかなって」

 その誇らしい横顔を見て、きれいな人だと思った。応援したくなるような横顔だった。

「僕もここに来て長いわけではないんですが、何かあればお手伝いしますよ」
「ありがとうございます」

 十字路を右に曲がり、農協の駐車場に入って止める。女性は礼を言い、降りようとする。

「あのっ」

 声をかけた。僕はスマホを取り出し、女性の顔色をうかがいながら言う。心臓が痛いほど脈打った。

「あの、よければ連絡先を、交換しませんか。週末、お昼でも……」

 さっきよりも緊張して、しどろもどろになってしまった。もっといい言い回しはなかったのか。変な奴だと思われただろうか。そんな不安と後悔が、頭の中でぐるぐると駆け巡る。しかしそんなものはすぐに吹き飛んでいった。

「はい、ぜひご一緒したいです」

 自分から言っておきながら、その後は嬉しさのあまり心ここにあらずで、女性に言われるままスマホを操作していた。

「あいがとうございます。あとで連絡しますね」
「はい、待ってます……」

 女性が降りてからも放心状態だったが、我に返って農協の駐車場を出る。運転している間、気になっているカフェのことを思い出した。診療所に帰った後にでも調べておこう。そんなことを考えながら、篠宮さんの家に向かった。

 車を止め、車の時計にちらりと目をやってからエンジンを切った。いつも水やりをしている篠宮さんの娘さんは、今日はいなかった。車から降りて、チャイムを鳴らす。

「ごめんください」

 この日は、到着に五分遅れてしまった。

お金が入っていないうちに前言撤回!! ごめん!! 考え中!!