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フォロークラスをうけて

こんなに完璧な順番で完璧なお相手と出会い完璧に締めることができるのだと感じられる自分がいました。

私はどちらかというと人の変化が見えるほうだと思っていて、
それをロジカルに伝えてしまうのですが、
そこではなく相手の求めるド直球の部分を伝えることができないという
できない部分にフォーカスしたあと

そのロジカルな部分が必要だったであろう方と出会ったことにより
急に
「ぜんぶ自分でやらなくていい」
という力が抜けた感覚になりました。

自分のなかの完璧主義や責任感、1から10まで自分でやりたい
そういったところが、なぜかこのような形で手放せたように思えたのです。

もちろんド直球の部分を伝えられるようになることは大事なのですが、
そういったことではなくて
私ができる部分を私がすればよくて、苦手な部分はそれが得意な人を尊重して任せればいいというか。

この「尊重して任せる」というところがなかなかできず、ぜんぶ自分の手柄にしよう自分で完結しようとしていた自分がいたのでしょう。
これがいくら言葉でそうすればいい、とわかっていても言われたとしてもできなかったのだと思います。

そこを、なぜだか今回のフォロークラスのなかで手放せた。
手放したことで、自他ともに認められるようになった感覚。
(どっちが先だかわかりませんが)

前回の、自分自分が苦しく、相手相手が苦しいところからの
「いただいている」という自他の境が薄れたことからの
自他ともに認められる満たされる感覚。

個体から全体へ
ということなのでしょうか。





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