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【初投稿】【小説】思慕

「橘さんって、髪綺麗だよね。」
「桜って髪綺麗だよね。」

学生の時からよく言われる。それは、社会人になっても変わらない。

その中でもよく褒めてくれたのが幼馴染の葵だった。
容姿端麗、明朗闊達とはまさにこの子のことだろうと思わせるような、そんな子だった。

「だった」とは少し嫌なことを想像させるかもしれないが別に亡くなったわけではない。

ただ、少し、存在が遠くなっただけ。

雨の日。空気が肌にぺたりとひっついて離れない少し厄介な日。そんな雰囲気と真反対のテレビから聞こえる朝の情報番組の呑気で明るいBGMと、芸能人の声。

その中から聞こえる聞き馴染みのある、

「こんにちは。女優の住野葵です!」

という声。

彼女こそ私の幼馴染、葵だ。幼い頃からの女優になるという夢を叶え、初主演の映画が大ヒット。現在活躍中の新人女優。

くるりとした毛先が特徴的なショートボブ。はにかんだ時に血色のいい唇の間から覗く白い歯。

「あーあ。」

無意識に口から出たよく分からない溜息に少し驚く。別に気分が下がっているわけではないのに、と。
この天気のせいかな、窓の外を眺めて呟く。ぽつりと呟いた独り言は空に溶けた。

「この映画は恋愛映画ですが、学生時代の恋愛エピソードなどはありますか?」

ナレーターがやけに語尾を上げてテンション高く質問する。葵はやや困ったように笑い、一応あります、と答えた。

何それ知らない、口をついて出た。
私と葵の間に隠し事なんてなかった、はず。まあ人間誰しも1つや2つ隠し事があって当然だよね、と思い直しテレビに目を戻す。

「……好きな人?っていうのかな。髪が綺麗な人でした。どこか落ち着いて話すと安心する?っていうのかな……ま、そんな感じです!多分片思いでしたけど!」

「髪が綺麗」その言葉を葵の口から聞いて、は?と声が出る。

そのエピソードを少しばかり茶化しながらも葵の出演映画の紹介を続ける番組の音は、私の耳を素通りしていた。




「桜ってほんとに髪綺麗だよね、羨ましいな」

自身の髪をくるりと指に巻きつけながら葵が呟く。おもむろにその手が私の髪に伸びる。
葵の白くて細い手からこぼれ落ちる自分の髪をじっと眺める。
確かに髪は綺麗だな、と自分でも思う。

けど、その何倍も葵は綺麗だった。
見た目だって、性格だって、全部。

「わー、いいな。ほんとに綺麗」
「キスしちゃいたいくらい」

なんて笑いながら葵が言う。
いいよ、と冗談だろうな、なんて思いながら返事をすると、彼女は私の髪を掬い直してそっとキスをした。

「ほんとにするんだ」

「えへ、しちゃった」
と言うと葵はぱっと髪から手を離した。

「そういや桜、キスする場所によって意味変わるらしいよ」

「えー、何それ」

どうせ友情か何かだろうと思い、笑って済ませ、その時は調べずに下校のチャイムが鳴ると共に2人で帰った。




「キスする場所の意味…」
はっと我に返り、スマホを手に取り検索エンジンにそのまま入力する。
そこには「髪…思慕」と書かれていた。

「…片思いじゃないよ、ばか」

スマホをソファに投げて、少しだけ泣いた。



【思慕(しぼ)】
思い慕うこと。恋しく思うこと。

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